アフガニスタン
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9,000年前に定住生活が始まり、紀元前3千年紀のインダス文明(ショルトゥガイ遺跡)、オクサス文明(ダシュリジ遺跡)、ヘルマンド文明(ムンディガク遺跡)へと徐々に進化していった[24]紀元前3000年から紀元前2000年にかけて四大文明が起こり、都市文化が生まれつつあった。その背景には農耕文化の発展があった。アフガニスタンは、先史時代からイラン高原メソポタミアの諸文化と早くからつながりがあり、また、インダス文明とも交流があった[25]

紀元前2000年から紀元前1800年青銅器時代で、ムンディガク遺跡[注釈 1]、デー・モラシ・グンダイ遺跡が見つかっている。また、バクトリア地方から出土した数体の石製女性像が見つかっている。

紀元前12世紀、『リグ・ヴェーダ』によれば、十王戦争が勃発し、バルフからパンジャブへ侵攻した。インド・アーリア人バクトリア・マルギアナ地方を経てガンダーラに移住し、ゾロアスター教の古代宗教書『アヴェスター』に描かれている文化と密接な関係がある[27]鉄器時代のヤズ1世文化(紀元前1500?1100年ごろ)が興った[13]。「アリアナ」と呼ばれていたこの地域は、紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシャ人の手に落ち、その東側のインダス川までの地域を征服した。アレキサンダー大王は前4世紀にこの地域に侵入し、カーブル渓谷での戦いの前にバクトリアでロクサネと結婚したが、アスパシオイ族やアサカン族の抵抗に遭ったという。グレコ・バクトリア王国ヘレニズム世界の東端となった。マウリヤ朝インド人による征服の後、この地域では何世紀にもわたって仏教ヒンドゥー教が栄えた。カピシとプルシャプラの双子の都を支配したクシャーナ朝カニシカ1世は、大乗仏教中国や中央アジアに広まる上で重要な役割を果たした。また、この地域からは、キダール、エフタル、アルコン、ネザーク、ズンビール、トルキ・シャヒスなど、様々な仏教王朝が生まれた。
ペルシア・ギリシア・インド文化の時代

サーサーン朝の支配下にあったヘラートとザランジには、7世紀半ばにムスリムがイスラム教をもたらし、9世紀から12世紀にかけて、サッファール朝、サマニー朝、ガズナ朝ゴール朝の時代に本格的なイスラム化が進んだ[14]。その後、クワーラズミアン朝、ハルジー朝ティムール朝ローディー朝スール朝ムガル帝国サファヴィー朝などに支配された地域もある。建国譚タイトル
ペルシアとアレクサンドロス大王の支配紀元前5世紀ごろ、アラコシア(英語版)には古代民族Pactyans(英語版)が住んでいた

紀元前6世紀アケメネス朝ペルシャ帝国に編入され、アレイヴァヘラート)、アラコシア(英語版)(カンダハール、ラシュカルガークエッタ)、バクトリア(バルフ)、サッタギディア(英語版)(ガズニー)、ガンダーラカーブルジャラーラーバードペシャーワル)の地方名で呼ばれた。カンダハールの旧市シャル・イ・コナ(英語版)の発掘によって、紀元前6世紀にはこの町が既にアフガニスタン南方の首邑になっていたことが明らかになった。

紀元前5世紀ごろ、アラコシア(英語版)には古代民族Pactyans(英語版)が住んでいたことがサンスクリット古代ギリシャ語文献から知られている。

紀元前4世紀アレクサンドロス3世(大王)はこの地を征服し、アレクサンドリアオクシアナ(Alexandria on the Oxus)と呼ばれる都市を建設した[注釈 2][28]
南方のマウリア朝と北方のグレコ・バクトリア王国カンダハールで発見されたギリシャ語アラム語で書かれたアショーカ王碑文紀元前3世紀

紀元前3世紀中ごろ、アフガニスタン北部からタジキスタン南部にかけてはギリシャ人の建てたグレコ・バクトリア王国が支配した。

紀元前130年ごろ、インド・グリーク朝のメナンドロス1世が死んで国が分裂すると、サカ族ガンダーラ地方でインド・スキタイ王国を興した。

紀元前2世紀後半、匈奴に追われた遊牧民の月氏が侵入し、グレコ・バクトリア王国は滅びた。

1世紀以降、先の大月氏の立てたクシャーナ朝がこの地に栄える。このころにはギリシア文化は影響力を失い、代わって南方のマウリヤ朝から流入したインド文化や仏教の影響が強く見られるようになる。4世紀ごろまでバクト商人シルクロード交易を掌握する。

3世紀末、クシャーナ朝に代わりサーサーン朝の支配がこの地に及ぶ。

5世紀前半、エフタルが興り、現在のアフガニスタンとパキスタンの地を支配する。

6世紀後半、アルタイ方面から南下してきた突厥による支配を受ける。
イスラーム化の進展ゴール朝の時代に建てられたヘラートの大モスク(英語版)

8世紀初頭、イスラム帝国アッバース朝のイスラム教徒軍がハザールソグディアナに侵攻し(アラブ・ハザール戦争、トランスオクシアナ征服(英語版))、その支配下へ入る。751年タラス河畔の戦いによりイスラム商人がシルクロード交易を掌握する。ゾロアスター教や仏教、ヒンズー教の影響は、イスラム教が伝わった後も10世紀ごろまで残存した。

9世紀中ごろ、再び土着イラン人によるターヒル朝サッファール朝サーマーン朝が興り統治する。


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