紀元前3世紀中ごろ、アフガニスタン北部からタジキスタン南部にかけてはギリシャ人の建てたグレコ・バクトリア王国が支配した。
紀元前130年ごろ、インド・グリーク朝のメナンドロス1世が死んで国が分裂すると、サカ族がガンダーラ地方でインド・スキタイ王国を興した。
紀元前2世紀後半、匈奴に追われた遊牧民の月氏が侵入し、グレコ・バクトリア王国は滅びた。
1世紀以降、先の大月氏の立てたクシャーナ朝がこの地に栄える。このころにはギリシア文化は影響力を失い、代わって南方のマウリヤ朝から流入したインド文化や仏教の影響が強く見られるようになる。4世紀ごろまでバクト商人がシルクロード交易を掌握する。
3世紀末、クシャーナ朝に代わりサーサーン朝の支配がこの地に及ぶ。
5世紀前半、エフタルが興り、現在のアフガニスタンとパキスタンの地を支配する。
6世紀後半、アルタイ方面から南下してきた突厥による支配を受ける。
イスラーム化の進展ゴール朝の時代に建てられたヘラートの大モスク(英語版)
8世紀初頭、イスラム帝国アッバース朝のイスラム教徒軍がハザールとソグディアナに侵攻し(アラブ・ハザール戦争、トランスオクシアナ征服(英語版))、その支配下へ入る。751年のタラス河畔の戦いによりイスラム商人がシルクロード交易を掌握する。ゾロアスター教や仏教、ヒンズー教の影響は、イスラム教が伝わった後も10世紀ごろまで残存した。
9世紀中ごろ、再び土着イラン人によるターヒル朝、サッファール朝、サーマーン朝が興り統治する。
995年、マームーン朝(英語版)のイスラム教徒軍が侵攻、アムダリヤ川右岸の古都キャト(カタルーニャ語版、ドイツ語版、ペルシア語版)に栄えていた土着のゾロアスター教国家であるアフリーグ朝(英語版)は滅亡した。
1017年、ガズナ朝がマームーン朝を滅ぼした。10世紀以降、このころからパシュトゥーン人の存在が確認され始める。
1117年、シャンサブ家がゴール朝を興し、シハーブッディーン・ムハンマドに仕えるクトゥブッディーン・アイバクは北インド征服事業を成功させ奴隷王朝を開いた。1215年にホラズム・シャー朝のアラーウッディーン・ムハンマドによってゴール朝は滅亡した。 モンゴルのホラズム・シャー朝征服のあと、アフガニスタンはモンゴル帝国およびチャガタイ・ハン国、タジク人のクルト朝の支配を受ける。 1370年ごろ、テュルク系のティムール朝による支配を受ける。1470年、ティムール朝が分裂しヘラート政権に移行。1507年、ウズベク族のシャイバーン朝のムハンマド・シャイバーニー・ハーンの攻撃によってティムール朝は滅亡する。 1510年、サファヴィー朝イランによって征服される。1526年、第一次パーニーパットの戦い。カーブルを拠点とするティムール朝の王子バーブルがインドにムガル朝を建設。 1540年、北インドのスール朝がカンダハール、カーブルを占拠。1545年、ムガル帝国がカンダハール、カーブルを占拠。1556年、第二次パーニーパットの戦いでスール朝のヘームーを破る。 1623年、サファヴィー朝がカンダハールを奪還。1638年、ムガル帝国がカンダハールを占拠。1649年、サファヴィー朝がカンダハールを奪還。 1719年、ホータキー族のミール・マフムード
モンゴル帝国
ティムール朝
サファヴィー朝、ムガル朝、オスマン帝国の抗争カンダハールを奪還するムガル帝国(1638年)
アフガンの王家による統治の始まり
ホータキー朝(英語版
1722年、ミール・マフムードがサファヴィー朝の首都イスファハーンを占拠(グルナーバードの戦い(英語版))。マフムードがサファヴィー朝を支配下に治める。
1725年、シャー位が、マフムードから、アシュラフに代わる。
1729年、アシュラフがアフシャール朝のナーディル・シャーに敗れ、ペルシアがアフガン支配下から脱した(ダームガーンの戦い(英語版))。
1736年、アフシャール朝が成立。サファヴィー朝が消滅した。
現代のアフガニスタンの政治史は、1709年にアフガニスタン南部の独立を宣言したミールワイス・ホータクを始祖とするホータキー朝に始まる。1747年、アフマド・シャー・ドゥッラーニーがカンダハールに首都を置くドゥッラーニー帝国を建国した。1776年、ドゥッラーニー帝国の首都はカーブルに移され、ペシャーワルが冬の首都となった[29]が、1823年、ペシャーワルはシーク教徒に奪われた。
ドゥッラーニー朝
サドーザイ朝アフマド・シャー時代のドゥッラーニー朝の版図
1747年10月、パシュトゥーン人ドゥッラーニー部族連合のザドーザイ族長アフマド・シャー・ドゥッラーニーによるドゥッラーニー朝が成立した。