アフガニスタン軍
創設1880年代
再組織2021年
派生組織アフガニスタン国陸軍
アフガニスタン国空軍
本部カーブル
指揮官
最高司令官ハイバトゥラー・アクンザダ
国防大臣ムッラー・ムハンマド・ヤクーブ
参謀長カーリ・ファシフディン
アフガニスタン軍(英:Afghan Armed Forces)とは、アフガニスタンの国軍のこと。 アフガニスタン軍の起源は18世紀初頭に勃興したパシュトゥーン系王朝のホーターキ朝やドウッラーニー帝国の軍隊である。19世紀末、第二次アフガン戦争でイギリスに敗れ、アブドゥッラフマーン・ハーン国王の治世が訪れた際には正規軍と呼べるものは存在していなかった。同国王は自らの地位を固めるため、中央集権化の一環として国軍を再建した。20世紀に行われた2回の世界大戦ではアフガニスタンは中立国だった。その後はソ連の兵器を導入して近代化を図るが、ダーウード大統領主導の急速な社会改革に対する反発や、人民民主党のクーデター(四月革命)、ソ連のアフガニスタン侵攻で始まったアフガニスタン紛争で弱体化した。ソ連撤退後は国軍は軍閥化したムジャーヒディーンによって分割され、続くターリバーン政権の下では徴兵制度が敷かれた。アメリカを主導国とする多国籍軍のアフガニスタン侵攻が始まると、ターリバーン政権の国軍は雲散霧消した。アメリカは20年間で830億ドル以上[4]を費やして新しく出来た民主政府による国軍再建を支援したが、ターリバーンの攻勢に伴い崩壊した。政権を奪還したターリバーンは国軍を再建する動きを見せている。 アフガニスタンの軍隊は1700年代初頭に誕生したとされており、1700 - 1800年代は西部国境でサファヴィー朝、アフシャール朝、南東国境でシク王国やムガル帝国、マラーター同盟、英領インドと何度も戦争をおこなっている。その後、アブドゥッラフマーン・ハーンが統治していた1880年代に初めて近代的な軍隊が創設され、アマーヌッラー・ハーンが統治した1900年代初頭からザーヒル・シャーが統治した1933 - 1973年には軍の増強や近代化が進められた。 第二次世界大戦後、王国軍は、ソ連軍を範に取り組織され、1973年までに約10万人に達した。 共産主義政権時代になると政府軍とムジャーヒディーンとの間で内戦が勃発。1979年には政府軍を支援するソビエト連邦軍がアフガニスタンに侵攻(アフガニスタン紛争 (1978年-1989年))した。これに対し、ソ連や共産主義政権と対立するアメリカやパキスタンがムジャーヒディーン側に軍事援助を行ったため、この内戦は米ソの代理戦争と化してしまった。 政府軍からは脱走が相次ぎ、1980年1月までに兵員数は3万 - 4万人にまで減少した(1978年は約11万人)。 戦いは泥沼化したが、侵攻から10年後の1989年にソ連軍がアフガニスタンから撤退。これにより後ろ盾を失った政府軍は機能不全状態に陥り、ナジーブッラー政権が反政府勢力の攻勢で崩壊してアフガニスタンが無政府状態になったあとは、各軍閥が分裂した政府軍を支配下に収めた。共産政権崩壊時の兵員数は、4万5千人(空軍5千人を含む)だった。 アフガニスタン空軍の兵員の多くはソ連で教育と訓練を受けていた。空軍兵士の多くは政治的に信頼されていなかった。 MiG-17およびMiG-21戦闘機、Su-7およびSu-17戦闘爆撃機、Il-18およびIl-28爆撃機、An-2、An-24およびAn-26輸送機、Mi-2、Mi-4、Mi-8およびMi-24ヘリコプターが運用されていた。
概要
王政時代1950年代のアフガニスタン軍
共産主義政権時代
空軍
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