アフガニスタン軍
[Wikipedia|▼Menu]
国連は国際治安支援部隊(ISAF)を派遣して治安を維持しつつ、治安部隊の再建に乗り出した。しかしアメリカ合衆国のブッシュ政権はアフガニスタンの国家建設に興味がなく、イラク戦争を開始したかったので各国の分担を主張した[5]。そのため軍の再建はアメリカが行うものの、警察の再建はドイツ、司法の再建はイタリア、麻薬取り締まりはイギリスが行うことになった[5]

敗退したターリバーンやアルカーイダはいずれ自然消滅すると考えられていたので[6]、国内に割拠するムジャーヒディーン軍閥は武装解除して、アフガニスタン・イスラム共和国の大統領の下で新兵を採用して治安部隊を建設していく方針がとられた。
ターリバーンによる反撃

ところがターリバーンやアルカーイダはパキスタンの連邦直轄部族地域に撤退して勢力を回復し、2005年後半から反撃を開始した。当初は自爆テロのような治安事件であったため、国連は国際治安支援部隊(ISAF)を各州に展開して治安を維持しつつ、地方復興チームがインフラ整備を行うことで民心を掌握し、ターリバーンの伸長を抑えようとした。しかしターリバーンは塹壕戦のような本格的な戦闘をしかけ[7]即席爆発装置(IED)により被害を急増させていった。

2009年、アメリカ合衆国のバラク・オバマ政権はターリバーンの鎮圧に乗り出した。アメリカ軍はイラクで成功した反政府活動鎮圧をアフガニスタンでも行おうとした[8]。反政府活動鎮圧とはイラク駐留アメリカ軍司令官のデヴィッド・ペトレイアス将軍が考案した作戦で、「敵を殺しても戦争を終わらせることは出来ない」「住民を守り、人心を収攬し、ともに生活し、安定した有能な政府が栄えるように治安を維持しなければならない」と言う考えに基づく作戦(対反乱作戦)である[8]。反政府活動鎮圧を行うためには40 - 50人の住民を守るために軍人や警察官が1人必要で、アメリカ軍が10万人[9]、軍や警察などの治安部隊が40万人必要だった[9]。アメリカ軍などの国際治安支援部隊(ISAF)は兵力を増強し、治安部隊の建設を急激に進めた。しかし計画通りには進まなかった[10]。警察は軽武装でターリバーンに立ち向かわなければならないため、死傷者が多く応募者が少なかった。またインターネットの普及により、国際治安支援部隊(ISAF)の本国の動きは筒抜けだった。コーラン焚書活動のようなニュースが喧伝されることで人心が動揺し、アフガニスタン軍に入隊した後で気が変わってターリバーンに寝返り、同僚に発砲する事件が頻発した[11]。2014年8月5日にはアフガニスタン治安復興支援統合部隊(英語版)(CSTC-A)副司令官ハロルド・グリーン米陸軍少将がアフガニスタン兵に殺害されている[12]
国際支援の終了と戦闘の激化

2009年から2011年にかけてアメリカ軍などの国際治安支援部隊(ISAF)は激しく戦い、短期決戦によりターリバーンを撃滅しようとしたが結局うまく行かなかった。2014年12月に国際治安支援部隊(ISAF)は終了し[13]、最盛期には約13万人にも及んだ外国軍の多くが国外に撤退した。多国籍軍は確固たる支援任務に移行し、ターリバーンとの戦いはアフガニスタン軍や警察が担うことになった。

2015年にはイスラム国がアフガニスタンに「ホラサン州」(ISIL-K)の設置を宣言し[14]、戦闘は激しさを増した。ターリバーンは州や郡の中心都市を占領し、占領・影響地域を広げていく戦略をとった[15]。ターリバーンはまず1つの州都を占領しようと攻撃をしかけた[15]。9月、ターリバーンはアフガニスタン第六の都市クンドゥーズを短期的に占領した(クンドゥーズの戦い)。アフガニスタン軍は地元の民兵組織と共にクンドゥーズを防衛していたが、少数のターリバーンに攻められて総崩れになった。中央政府は大統領選挙のあと長期にわたって政争を続け、軍を指揮すべき国防大臣が空席だった。

2016年、ターリバーンはヘルマンド州クンドゥーズ州ウルズガーン州の州都を占領しようと試みたが、アフガニスタン軍に阻止された[16]。アフガニスタン軍は「保持・戦闘・妨害」戦略(Hold-Fight-Disrupt)により優先順位をつけて戦った[16]。ヘルマンド州の215軍団は戦死などにより4.5%の損害を被ったが、全体としては新兵を採用して17万人前後の兵員を維持し、総兵力19万5000人を目指した[16]。パイロットや特殊部隊の養成も進められた[17]。特殊部隊は軍と警察を合わせて1万7000人であり、8割方自律的に行動できるようになった[17]。A29 攻撃機は長距離攻撃任務を開始し、ヘルマンド州で偵察・爆撃を行った後でカンダハール空港に着陸して燃料補給を行えるようになった[17]。A29は99回出撃して、255個の爆弾と199個のロケット弾を投下した[17]。アフガニスタン軍は四半期(2016年7月1日?9月8日)で6879人の反乱軍を殺害した[17]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:156 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef