ターリバーンに掌握される地域が徐々に増加する中、2020年2月29日、米国とターリバーン(アフガニスタン・イスラム首長国)はドーハで条件付和平協定に署名した[49]。ターリバーンが協定の条件に協力する限り、米軍は14カ月以内にアフガニスタンから撤退することが求められた[50]。この合意は、アフガニスタン政府抜きで米国政府とタリバン間で直接行われた[51]。また、インド亜大陸のアルカーイダやISIL-Kに属する反政府勢力が、国内の一部で活動を続けていた[52]。2021年4月、アメリカ合衆国大統領ジョー・バイデンが、同年9月11日までに駐留米軍を完全撤退させると発表[53]。すると、2021年5月からターリバーンは大攻勢を開始し、共和国軍は3か月ほどで各州都に点となって散らばるまで弱体化した。8月に入ると続々と各州の州都にターリバーンが入城し、15日までにパンジシール州を除くすべての州が陥落した。2021年8月15日、ターリバーンはアフガニスタン全土を支配下においたと宣言し、内務相代行が平和裏に権力の移行を進めると表明した[54][55]。30日に米軍は撤退を完了し、31日にバイデンも戦争終結を宣言した[56]。これをもって、米国史上最長の戦争は幕を閉じた。
全体として、この戦争では 46,319 人の民間人を含む約176,000 人が死亡した[57]。2001年のアメリカの侵攻とタリバン政権打倒の後、570万人以上の難民がアフガニスタンに帰還したが[58][59]、タリバンが2021年に権力の座に戻ったとき、260万人のアフガニスタン人がまだ難民であり、さらに400 万人が国内避難民であった[60]。黒:ターリバーンの支配地域
赤:反ターリバーン派の支配地域
黄:紛争地帯または帰属不明の地域
前史2001年時点のアフガニスタンの勢力地図。赤の部分が北部同盟の支配下。ターリバーンに破壊され消滅したバーミヤン大仏「アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)」、「アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)」、および「ターリバーン」も参照
1978年の共産政権の成立にともない、全土でムジャーヒディーンと呼ばれる武装勢力が蜂起した。これを受けて1979年にはソビエト連邦が軍事介入を行ったが、東側社会以外の支援を受けたムジャーヒディーンを駆逐することはできず、1989年にソ連軍は撤退した。
しかしソ連軍の撤退以降はムジャーヒディーン同士が内戦を起こし、軍閥を形成して戦闘が続いた。1994年頃からパキスタン軍の支援を受けたパシュトゥーン人の武装勢力であるターリバーンが勢力を拡張し、国土の大半を制圧した。しかし、ターリバーン政権はイスラム原理主義的政権であり、同様に原理主義的思想を持つウサーマ・ビン=ラーディンとアル・カーイダを国内に保護し、テロリストの訓練キャンプを設置していた。