8月30日、米軍はアフガニスタンからの撤退を完了[316]。8月31日、ジョー・バイデン大統領は国民向けの演説で戦争終結を正式に宣言[56]。一方、ターリバーンは米国に対する勝利を宣言[317]。20年間続いたアフガニスタン紛争はターリバーンの勝利に終わった。その後、ターリバーンに対する抗議が8月17日に始まった。抗議グループはタリバーン政府による女性の扱いに懸念を表明しており、それを差別的であると見なしている[318]。アフガニスタンの民族レジスタンス戦線に支えられて、抗議者たちは地方分権化、多文化主義、社会正義[318]、仕事、教育、そして食糧も要求している[319]。
タリバーンは時が経つにつれて暴力の増加とともに抗議を抑制し、活動家を誘拐し始めた。この政策は最終的に抗議行動を徐々に終わらせ、カブールでの最後の抗議行動は2022年1月16日に起こった[320]。詳細は「2021-2022年アフガニスタンの抗議(英語版)」を参照
米国は撤退後も敵対姿勢は崩さず、経済制裁を行った。しかし、これはアフガン市民の生活困窮を招き、国連は人口の半数以上である約2500万人が貧困の状況にあるとした[321]。薬物汚染も問題となった。人権問題を建前にした経済制裁が、人道危機の原因となる矛盾に批判が高まったことで、米国は人道支援を例外とした[322]。 ブラウン大学の「コスト・オブ・ウォー」プロジェクトによると、2021年4月時点で、アフガニスタンでの死者は17万1,000?17万4,000人、アフガン民間人が4万7,245人、アフガン軍・警察が6万6,000?6万9,000人、反対派の戦闘員が少なくとも5万1,000人となっている。しかし、病気、食料・水・インフラへのアクセスの喪失、その他の間接的な影響 による死者数が不明であるため、死者数はもっと多い可能性がある[323]。国連によると、2001年の侵攻以降、570万人以上の元難民がアフガニスタンに帰還した[324]が、2021年現在、260万人のアフガニスタン人が難民として残っているか、主にパキスタンやイランに逃れており、さらに400万人のアフガニスタン人が国内での避難民として残っている[60]。一方、2001年以降、アフガニスタンでは、健康、教育、女性の権利などが改善された面もある[325][326]。 アフガニスタン紛争において、数多くの重大な人権侵害が発生していることが人権団体により報告されている。戦争犯罪及び人道に対する罪を取り扱う国際刑事裁判所(ICC)も2007年から予備調査を始め、2013年に「アフガニスタンで、戦争犯罪及び人道に対する罪が過去そして今も犯されている」と結論づけている[327]。しかし、主な対象となる米国が猛反発し、ICCに圧力をかけたことで、本調査は後回しにされている[328]。欧米の傀儡政権であったカルザイ政権は、戦争犯罪恩赦法を施行したり、人権団体による報告書公表を阻止したりした[329]。復権したタリバンもまた、米国と戦争犯罪を追及しない密約を結んだという報道がある[330]。 連合軍支配下のアフガニスタンでは、農村部に逃げ込んだターリバーン戦闘員を見つけ出すため、「夜襲作戦
被害
戦争犯罪米軍兵士によって殺害されたアフガニスタン人の少年
夜襲作戦