アフガニスタン紛争_(2001年-2021年)
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紛争は主に多国籍軍と共和国軍が旧支配勢力となったターリバーンと戦うもので[30]、ISAF/RSの兵士や人員の大半はアメリカ人である[29]。この紛争のコードネームは、米国では「不朽の自由作戦」(2001年?14年)、「自由の番人作戦」(2015年?2021年)と呼ばれている[31][32]傀儡政権樹立後もタリバンの反乱は続き[33]、多国籍軍は一般市民にも危害を加えたことで協力を得られなかった[34]。20年と数百兆円を費やした後[35]、最終的に米軍を筆頭に多国籍軍が撤退を開始すると、ターリバーンは急速に勢力を回復して再び政権を奪還した。
経緯

2001年の9.11同時多発テロ発生後、米国大統領のジョージ・W・ブッシュは、当時アフガニスタンの支配勢力であったターリバーンに、オサマ・ビンラディンの引き渡しを要求した[36]。ターリバーン政権の副首相アブドゥル・カビールはこれに対し、9.11同時多発テロがオサマ・ビンラディンによるものであるという証拠を求め、事実であれば第三国に出国させるとの返答をした[37]。ブッシュはカビール副首相の提案を拒否し「不朽の自由作戦」の開始を指示した[38]

2001年末までにターリバーンとアルカーイダは、米軍と北部同盟軍によって国内でほぼ壊滅したとみられ、ボン合意では新たなアフガン暫定当局(主に北部同盟)がハミド・カルザイをアフガン暫定行政長官に選出した。国連安全保障理事会は、新政権がカーブルを確保することを支援するために国際治安支援部隊(ISAF)を設立した。また、ターリバーン政権の崩壊に伴い、全国的な復興が図られた(国連アフガニスタン支援ミッション)[39][40][41]

一方で政権の座から追い出されたターリバーンはオマル師によって再編成され、2003年から多国籍軍とその傀儡とみなすアフガニスタン政府に対する反乱を開始した[42][43]。ターリバーン等の反政府勢力は、地方でのゲリラ的な襲撃や待ち伏せ、都市部での標的に対する自爆攻撃、連合軍に対する裏切り者の殺害など、非対称戦争を繰り広げた。ターリバーンは次第にアフガニスタン南部と東部の農村地域で影響力を取り戻し、ISAFは村を「クリア&ホールド」するための対反乱作戦に兵力を増強して対応した[44][45]。2007年から2009年にかけて、暴力行為は拡大した[46]。2009年には兵力が急増し、2011年まで増加し続け、ISAFと米国の指揮下で約14万人の外国軍がアフガニスタンで活動した[47]。2012年にNATO首脳は軍の撤退戦略を開始し、その後、米国は主要な戦闘活動を2014年12月に終了し、国内に残存兵力を残すことを発表した[48]。2014年12月28日、NATOはアフガニスタンにおけるISAFの戦闘活動を正式に終了し、安全保障上の全責任をアフガニスタン政府に正式に移管した。同日、ISAFの後継組織としてNATO主導のレゾリュート・サポート作戦が発足した。

ターリバーンに掌握される地域が徐々に増加する中、2020年2月29日、米国とターリバーン(アフガニスタン・イスラム首長国)はドーハで条件付和平協定に署名した[49]。ターリバーンが協定の条件に協力する限り、米軍は14カ月以内にアフガニスタンから撤退することが求められた[50]。この合意は、アフガニスタン政府抜きで米国政府とタリバン間で直接行われた[51]。また、インド亜大陸のアルカーイダやISIL-Kに属する反政府勢力が、国内の一部で活動を続けていた[52]。2021年4月、アメリカ合衆国大統領ジョー・バイデンが、同年9月11日までに駐留米軍を完全撤退させると発表[53]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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