アフガニスタンの国章
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2021年8月19日[1] -
ミフラーブミンバルクルアーンを支える。戴冠には太陽。
サポーター2本の剣、2本の麦の穂と歯車[2]
モットーシャハーダアラビア語パシュトー語
1415-1-10 AH
アフガニスタン・イスラム首長国

アフガニスタン国章(アフガニスタンのこくしょう)は、ターリバーンが自称するアフガニスタン・イスラム首長国で用いられる徽章である。1996年の建国と共に制定された。コーランシャハーダといったイスラム教の要素が多く含まれている。また、歴代の国章から小麦の穂、ミフラーブを継承している。
アフガニスタン・イスラム共和国の国章

アフガニスタン・イスラム共和国の国章

詳細
使用者アフガニスタン・イスラム共和国
採用2004年1月4日
2013年(修正)

2004年1月4日に制定されたアフガニスタン・イスラム共和国の徽章である。アフガニスタン憲法19条でその形について定められている。2013年に一部修正された。
構成要素

紋章の中央には
ミフラーブ説教壇が配されている。ミフラーブはメッカの方角を示すためにモスクに設置された壁の聖龕のこと。礼拝の際はこのミフラーブに向いて跪く。

モスクの上部の光芒は昇り行く朝日である。

モスクの下部の数字はイスラム暦1298年の意。イギリスからの独立の年である。

モスクの両側には二つのアフガニスタンの国旗が配される。

リボンを掛けられた2本の小麦の穂が円く周囲を囲んでいる。

上部には「アッラーフのほかに神は無くムハンマドはアッラーの預言者なり、アッラーフは偉大なり聖句が書かれている。

下部の文字は国名のアフガニスタン。

変遷


2002-2004

2004-2013

歴代の国章
君主制 (1826年 - 1973年)

1826年に建国されたアフガニスタンの君主制国家は、アフガニスタン首長国(1835年 - 1926年)、イギリス保護国(1880年 - 1919年)、アフガニスタン王国(1926年以降)と変遷し、1973年のクーデターまで続いた。

1901-1919

1919-1926

1926-1928

1928-1929

1931-1973

共和制・人民民主党政権 (1973年 - 1992年)

1973年に王政を打倒して樹立されたアフガニスタン共和国ムハンマド・ダーウード政権)の国章は、最初の1年間は王政時代の国章からイスラム暦の独立年(西暦換算では1919年)を除いたものであった。1974年からはデザインを一新した。

1978年のクーデターによってダーウードは処刑されアフガニスタン人民民主党による社会主義国家、アフガニスタン民主共和国が樹立された。最初の国章は共産主義的なデザインに、中央に「ハルク (ペルシア語: ???‎、人民の意)」と描かれていた。これは党内派閥のハルク派(Khalq)が主導権を握っていたことにも影響している。しかし1979年の嵐333号作戦によってハルク派は排除され、新たにパルチャム派が主導権を握った。これに伴い国章は変更された。1987年、新憲法によって国名を「アフガニスタン共和国」へ改め、脱共産主義が進められた。国章からは共産主義の象徴である赤い星が取り除かれた。

1973-1974

1974-1978

1978-1980

1980-1987

1987-1992

ムジャーヒディーン、ターリバーン政権 (1992年 - 2001年)

1992年に反政府勢力のムジャーヒディーンが首都カーブルへ入城し、人民民主党政権は崩壊した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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