アノニマスの歴史は、匿名掲示板(CHANカルチャー)における集団行動の歴史でもある。以下でそれを追っていく。詳細は「英語版: Anonymous (group)
」も参照。すべては1999年に西村博之が開設した日本最大級の匿名掲示板「2ちゃんねる」から始まった[17]。2ちゃんねるでは、特定のスレッドが爆発的に盛り上がると「祭り」と呼ばれる集団行動が起きる。
伝説化した「祭り」としては、もやしを同じ日に全国で買い占める「もやし買い占め事件」、YouTubeのヘイト動画を大量通報する「ネトウヨ春のBAN祭り」、意味不明な人物やキャラをサイト上の投票で1位にする「田代祭」「コイルショック」などが最もよく知られている。中にはテレビ局の偏向報道に対抗し、ゴミ拾い企画の前に2ちゃんねらー総出でゴミを拾ってしまうという「2ch湘南ゴミ拾いオフ」なる大規模オフも存在した(こうした流れは「しない善より、する偽善」という善意のスローガンも生み出した)。
2ちゃんねるのほとんどの利用者は匿名で投稿を行うため、一見すると「名無しさん」という人物が連続して投稿を行っているように見えることがある。こうした集合的アイデンティティ[18]としての「名無しさん」は、そのまま4chanの「アノニマス」に受け継がれていく。
4chanの襲撃(2003-2006)「4chan」および「/b/」も参照.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}4chanはインターネットにおける人間性の善、悪、醜を遺憾なくわれわれに見せつけてくれた。
ハンドル名、Mootことクリストファー・プールが自宅の寝室で4chanを始めたのはわずか15歳のときだった。その12年後、プールはアクティブ・ユーザー2000万人の一大画像共有ネットワークを築いた。テーマはコスプレやかわいい動物の写真といった無害なものからアニメ・ポルノ、さらには悪名高い無検閲の「/b/」チャンネルまでなんでもありだ[19]。—Josh Constine at TechCrunch
2003年10月、4chanという匿名の画像掲示板が英語圏で開設された。このサイトは、2ちゃんねるから派生した画像掲示板「ふたば☆ちゃんねる」(2chan.net)を模倣した非公式の姉妹掲示板である[20]。4chanのデフォルトネームは、そのまま「アノニマス(匿名)」であり、これは4chanの流行にともない「名前のない個人の集合体」としてインターネット・ミーム化していった[14]。後述の映画『We Are Legion』に出演したProject Chanology(英語版)のメンバーも「アノニマスは最初冗談で始まりました。サイト全体をアノニマスという、たった一人の人間が作っているとしたらどうだろう? と誰かが言い出したんです」と証言している。4chanを15歳で創設したMoot。Mootは英語圏のインターネットフォーラム「Something Awful」と日本語圏の画像掲示板「ふたば☆ちゃんねる」のアクティブユーザーであった。Mootの理想は「一切の検閲なしに匿名で書き込める掲示板」であり、この理念は匿名集団「アノニマス」の発展に大きく寄与することになる。
このような集団行動を起こす「アノニマス」が最初に現れたのは、4chanにある「/b/」(ランダム)という雑談系掲示板である。「/b/」は、2ちゃんねるのニュース速報板(VIP)に相当する掲示板で、ちょっと下品だが笑えるような荒らし行為を「/b/」のユーザーは数多く行ってきた[6]。中には「自分たちには頭数があるんだから、烏合の衆とはいえ、何か良いことがしたい」という善良なユーザーもいたが、多くのユーザーは「面白ければいい」とばかりに無意味な悪ふざけを繰り返し行った。2006年7月12日にはオンラインゲーム「Habbo hotel」を襲撃し、ゲーム内の施設を封鎖する荒らしを行った(たとえば「プールはAIDSによって閉鎖されました」等のでたらめな看板を立てたりした)。また、この頃から一部のユーザーは4chanだけでなく、インターネットリレーチャット(リアルタイムに行なわれるチャットシステム。以下、IRCと表記)を使用し、オフサイトでもいたずらを計画し始めた[6]。
この牧歌的ないたずら集団が「凄腕ハッカー集団」としてハクティビズムに動き始めたのは全くの偶然であった。すべてを変えたのはニュージャージー州を拠点に活動していたハル・ターナーという、たった1人のラジオ・パーソナリティである[6]。
ハル・ターナーへの襲撃(2006)「en:Hal Turner」も参照
2006年、ホロコースト否認論など正しくない歴史認識を拡散していたハル・ターナーに対し、4ちゃんねらーは彼がラジオ番組を継続できないように、迷惑電話やDDoS攻撃などの嫌がらせを集団で行った[21]。これに憤慨したターナーは4ちゃんねらーの実名を一部特定し、ウェブサイトに晒したが、4ちゃんねらーはターナーを返り討ちにするため、メールをクラッキングして数々の悪事を暴露した。その結果、ターナーは刑務所に送られるハメになる[6]。
この事件はアノニマスが政治的文脈で勝利した、最初の事例となった。また攻撃で用いられた「クラッキング」「ドクシング(晒し)」は、アノニマスの基本手法として現在にまで引き継がれる。これを契機にアノニマスは「正体不明のインターネット集団」というかつてない巨大な組織と化した。
Project Chanology(2008)「en:Project Chanology」も参照サイエントロジー協会に抗議するアノニマスのメンバーたち(2008年2月10日)アノニマスから発展したProject Chanology(英語版)は世界の少なくとも100の都市で約7000人が同時に抗議を行った。
2008年、新興宗教団体「サイエントロジー」の信者であるトム・クルーズが出演する教団内の宣伝用ビデオがYouTubeに流出し話題となったが、サイエントロジーはこの動画本体や動画について報じるニュース動画の削除依頼を矢継ぎ早に行った。これに対し、4ちゃんねらーは検閲反対を掲げ、表現の自由を守るため、匿名集団「アノニマス」として大規模な抗議行動をとった。サイエントロジー教会に対する直接の抗議は年間を通して続き、多くの抗議者はガイ・フォークスのマスク[9]を着用してメディアに現れ、アノニマスの存在を全世界に広く知らしめた。
しかし、サイエントロジーへのサイバー攻撃[22]を残念に思う人物も中にはいた。そのうちの1人が、攻撃中止を呼びかけるビデオメッセージを投稿すると、これに感銘を受けた一部のアノニマスが「Project Chanology(英語版)(プロジェクト・チャンノロジー)」を結成し、世界100の都市で7000人が平和的なデモ活動を行った[23]。
このように必ずしもアノニマスの参加者がハッカーやクラッカーではなく、中にはクラッキング攻撃に否定的な集団もいる。これに対してオペレーション(Operation)と呼ばれるクラッキング行動が2010年ごろから開始され、彼らは匿名掲示板ではなくIRCなどに活動拠点を徐々に移し、ますます先鋭化していった。