このような集団行動を起こす「アノニマス」が最初に現れたのは、4chanにある「/b/」(ランダム)という雑談系掲示板である。「/b/」は、2ちゃんねるのニュース速報板(VIP)に相当する掲示板で、ちょっと下品だが笑えるような荒らし行為を「/b/」のユーザーは数多く行ってきた[6]。中には「自分たちには頭数があるんだから、烏合の衆とはいえ、何か良いことがしたい」という善良なユーザーもいたが、多くのユーザーは「面白ければいい」とばかりに無意味な悪ふざけを繰り返し行った。2006年7月12日にはオンラインゲーム「Habbo hotel」を襲撃し、ゲーム内の施設を封鎖する荒らしを行った(たとえば「プールはAIDSによって閉鎖されました」等のでたらめな看板を立てたりした)。また、この頃から一部のユーザーは4chanだけでなく、インターネットリレーチャット(リアルタイムに行なわれるチャットシステム。以下、IRCと表記)を使用し、オフサイトでもいたずらを計画し始めた[6]。
この牧歌的ないたずら集団が「凄腕ハッカー集団」としてハクティビズムに動き始めたのは全くの偶然であった。すべてを変えたのはニュージャージー州を拠点に活動していたハル・ターナーという、たった1人のラジオ・パーソナリティである[6]。
ハル・ターナーへの襲撃(2006)「en:Hal Turner」も参照
2006年、ホロコースト否認論など正しくない歴史認識を拡散していたハル・ターナーに対し、4ちゃんねらーは彼がラジオ番組を継続できないように、迷惑電話やDDoS攻撃などの嫌がらせを集団で行った[21]。これに憤慨したターナーは4ちゃんねらーの実名を一部特定し、ウェブサイトに晒したが、4ちゃんねらーはターナーを返り討ちにするため、メールをクラッキングして数々の悪事を暴露した。その結果、ターナーは刑務所に送られるハメになる[6]。
この事件はアノニマスが政治的文脈で勝利した、最初の事例となった。また攻撃で用いられた「クラッキング」「ドクシング(晒し)」は、アノニマスの基本手法として現在にまで引き継がれる。これを契機にアノニマスは「正体不明のインターネット集団」というかつてない巨大な組織と化した。
Project Chanology(2008)「en:Project Chanology」も参照サイエントロジー協会に抗議するアノニマスのメンバーたち(2008年2月10日)アノニマスから発展したProject Chanology(英語版)は世界の少なくとも100の都市で約7000人が同時に抗議を行った。
2008年、新興宗教団体「サイエントロジー」の信者であるトム・クルーズが出演する教団内の宣伝用ビデオがYouTubeに流出し話題となったが、サイエントロジーはこの動画本体や動画について報じるニュース動画の削除依頼を矢継ぎ早に行った。これに対し、4ちゃんねらーは検閲反対を掲げ、表現の自由を守るため、匿名集団「アノニマス」として大規模な抗議行動をとった。サイエントロジー教会に対する直接の抗議は年間を通して続き、多くの抗議者はガイ・フォークスのマスク[9]を着用してメディアに現れ、アノニマスの存在を全世界に広く知らしめた。
しかし、サイエントロジーへのサイバー攻撃[22]を残念に思う人物も中にはいた。そのうちの1人が、攻撃中止を呼びかけるビデオメッセージを投稿すると、これに感銘を受けた一部のアノニマスが「Project Chanology(英語版)(プロジェクト・チャンノロジー)」を結成し、世界100の都市で7000人が平和的なデモ活動を行った[23]。
このように必ずしもアノニマスの参加者がハッカーやクラッカーではなく、中にはクラッキング攻撃に否定的な集団もいる。これに対してオペレーション(Operation)と呼ばれるクラッキング行動が2010年ごろから開始され、彼らは匿名掲示板ではなくIRCなどに活動拠点を徐々に移し、ますます先鋭化していった。 サイエントロジーへの攻撃以降、アノニマスには、クラッキングを肯定する「AnonOps」と、それを否定する「AnonNet」と呼ばれる派閥に分かれていった[4]。いずれも特定のリーダーは存在していないが、その時々のムーブメントの牽引者が自然発生的に存在する(420chan
「AnonOps」と「AnonNet」
2013年には全てのインターネットを停止させるオペレーショングローバルブラックアウト(OpGlobal Blackout)が予告されたが、賛同が集まらず自然立ち消えになったこともある[4]。このように、参加・不参加は各人の自由であり、意識として必ずしも全体として統一したものとも限らない。
Operation Payback(2010)「en:Operation Payback」も参照ペイバック作戦のチラシ
2010年9月に実行されたペイバック作戦(英 Operation Payback)は、オンライン上の違法コピーに反対する団体などに対して行われ、作戦メンバーのうち13人が起訴された[25][26]。この攻撃では、アメリカ映画協会(MPAA)やアメリカレコード協会(RIAA)などのサイトも攻撃され、P2Pファイル共有ソフトのBitTorrentを使用したユーザーを訴える法律事務所(US Copyright Group)もターゲットとなった。
2010年代の活動
オーストラリア政府への攻撃「2010年2月オーストラリアサイバー攻撃」を参照
インターネット規制に抗議する形で、アノニマスはオーストラリア政府にサイバー攻撃とデモなどの合法的な抗議活動を行っている。アノニマスは、これをチッツトーム作戦[注釈 2]と呼んでいる。
アラブの春「アラブの春」も参照
2010年から2011年にかけて起こっていたアラブ世界での反政府デモや騒乱(アラブの春)に関連して、アノニマスも活動を行っている。まずアノニマスは、2010年12月にアサンジの復讐作戦(英 Operation Avenge Assange)と称して、ウィキリークスへの寄付受付を停止した銀行や、クレジットカード決済会社のWebサイトに対して、きわめて大規模なDDoS攻撃を実行した[27]。
また2010年から2011年にかけてチュニジアで起こった「ジャスミン革命」における情報統制に関連して、8つの政府のウェブサイトがDoS攻撃のターゲットとなった[28]。アノニマスは自らの作戦を「チュニジア作戦(英語版)」とし、チュニジア政府のサイトを、規制に対する非難声明を記した公開書簡に書き換えた[29]。