アニー
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アン・アンガーがミス・ハニガン役のラウドン、ゴストリー、ウィルソンの代役を務めた[3]1983年1月2日まで、2,377回を数えるロングラン公演となり、アルヴィン劇場(現:ニール・サイモン劇場)において2009年に『ヘアスプレー』に抜かれるまで最長上演回数の記録を所有していた[4]
1978年 - 1983年、北米ツアー・カンパニー

ブロードウェイでヒットするや、4つのツアーカンパニーが編成され、北米各地で行なわれた。

1978年3月、1組目の北米ツアー・カンパニーはトロントで開幕し、アニー役はキャシー・ジョー・ケリー、ウォーバックス役はノーウッド・スミス、ミス・ハニガン役はジェーン・コネルおよびルース・コバート、ルースター役はゲイリー・ビーチが演じた。4月12日から5月13日までマイアミで上演され、その後いくつかの都市で上演ののちシカゴで32週間上演された。1979年4月、アニー役がメアリー・K・ロンバーディに交代してツアーが続けられた。ロンバーディが成長し過ぎたため、1980年秋、ボストン公演からセダ・ステムラーに交代した。1981年5月15日から、ロサンゼルスのロングラン上演で アニー役を演じていたルアン・シロタが4か月間出演した。1981年8月、ベッキー・スナイダーがこのカンパニー最後のアニー役となり、9月6日に閉幕した。

1978年6月22日、西海岸プロダクションまたはロサンゼルス・プロダクションとも呼ばれる2組目の北米ツアー・カンパニーがサンフランシスコで開幕した。アニー役はパトリシア・アン・パッツ、ペッパー役はジェニファー・チヒが演じたほか、当時無名であったモリー・リングウォルドが孤児の1人を演じていた。10月15日からロサンゼルスにあるシュバート劇場にて無期限の公演が開幕した。1979年6月12日、当時アニー役は通常11歳の子役が演じていたが、パッツ役を演じていた9歳のシロタがアニー役に配役された。12月、マリサ・モレルがアニー役に配役され、ロサンゼルス公演閉幕後、1980年12月までツアー公演が続行された。1981年、アリッサ・ミラノが孤児の1人を演じ、1982年1月23日にフィラデルフィアで閉幕するまでクリスティ・クームスがアニー役を演じた。

1979年10月3日、3組目の北米ツアー・カンパニーがダラスで開幕した。1982年の映画『アニー』でペッパー役を演じることとなるロザンヌ・ソレンティノがアニー役を演じた。23都市を短期間の上演で巡業した。1981年3月27日、アニー役がブリジット・ウォルシュに交代した。1982年夏、1組目のクロージング・キャストであったスナイダーが参加し、9月に閉幕した。

1981年9月11日、4組目の北米ツアー・カンパニーが開幕し、アニー役はモリー・ホールが演じた。出演者の少ない「バス&トラック・ツアー」として、週に2都市で上演することもあった。1983年1月にブロードウェイ・プロダクションが閉幕した後も続行された。オリジナル・プロダクションに出演していたキャスリーン・シスクが最後のアニー役となり、1983年9月に閉幕した。
1978年 - 1981年、ウエスト・エンド・オリジナル

1978年5月3日、ウエスト・エンドにあるヴィクトリア・パレス・シアターにて開幕した。オリジナル・ブロードウェイ・キャストのアンドレア・マカードルがアニー役で40回出演した。12歳のイギリス人アン・マリー・グワトキンもアニー役に配役され、オリジナル・ロンドン・キャスト・レコーディングに参加した。オープニング・キャストおよびオリジナル・サウンドトラックの子役はクレア・フッド、ジェーン・コリンズ、ダウン・ネピア、アネット・メイソン、ヘレン・スティーブンソン、ジャッキー・イーカーズ、リンダ・ブリュウィスであった。グワトキンはクリスティン・ハイランドと交代で出演し、ほかにアン・オルーク、ジャシンタ・ホワイト、ヘレン・ソーン、ローザ・ミシェルの4名がアニー役に配 役され、翌年まで演じた。グワトキンとイーカーズがダブル・キャストとなり、その後様々な子役がアニー役を演じた。シェリア・ハンコックがミス・ハニガン役のオリジナル・キャストとなり、その後マリア・チャールズ、ステラ・モレイがミス・ハニガン役を演じた。ウォーバックス役はストラトフォード・ジョーンズが演じ、その後チャールズ・ウエストが演じた。ペッパー役はデボラ・クラーク、モリー役はメラニー・グラントが演じた。1,485回上演ののち、1981年11月28日に閉幕した。
1981年、全英ツアー

1981年のクリスマス時期、ウエスト・エンド公演はブリストル・ヒポドロムに移行し、その後全英ツアーを行なった。イギリスでは子役の労働法が厳しく、4か月ごとにアニー役を交代せねばならなかった。ツアー公演前のヴィクトリア・パレスの最後のアニー役の1人には当時10歳であったリーズ出身のクラウディア・ブラッドリーがおり、1981年にBBCで放送された『Fame 』に登場した。
1997年、ブロードウェイ再演

1997年にはオリジナル製作20周年の記念公演『Annie, the 20th Anniversary』としてブロードウェイにあるマーティン・ベック劇場(現アル・ヒアシュフェルド劇場)で復活した[5]。ハニガン役をネル・カーターが担当したが、他のキャラクターの選考には疑惑が伴っていた。アニー役に抜擢されたジョアナ・パシティはボストンで気管支炎を患って公演2週間前に突如ジュライ役のブリトニー・キッシンガーに交代した[6]。プレ・ブロードウェイ・ツアーはコロニアル劇場で上演された。開幕初日、アニー役代役および孤児役のアレキサンドラ・キースマンがパシティの代わりにアニー役を演じた。その後アニー役はキッシンガーが演じた。コネチカット州にあるオークデイル劇場に移行し、プログラムにはアニー役はキッシンガーと記されていた。世間ではデパートメント・ストアのメイシーズがスポンサーとなった、アニー役コンテストでパシティが優勝したことが知られていた。レビューも振るわず、結果的に短期間で公演は終了したが、続く全米ツアーは成功した。当時8歳であったキッシンガーがブロードウェイ公演アニー役最年少記録となった。

コマーシャルにおいて、ミス・ハニガン役のネル・カーターの代わりに白人女優のマーシャ・ルイスが出演していたことにより、カーターが非常に落胆していると報じられた。プロデューサーたちは撮影し直すには費用がかかりすぎるとして以前のプロダクションで製作したコマーシャルを使用しただけだと主張した。しかしカーターはこれを人種差別と感じ、『ニューヨーク・ポスト』紙に「おそらくミス・ハニガンを演じるネル・カーターが黒人だと知られたくなかったのだろう」と語った。ただしこのコマーシャルにはカーターが出演することに言及していた。カーターはさらに「とても傷付いた」とし、「黒人女性としての私を侮辱しており、放送を中止してくれるよう頼んだ」と語った[7]。のちに「カーターではなく、以前のミス・ハニガンの白人が出演するコマーシャルを放送することを決めたプロデューサーたちを差別主義者と呼び、木曜の公演は休演する」と報じられた[8]。AP通信によると、カーターは「私および私の代理人はこのコマーシャルについて何度も解決しようとしたが、先方から何もできないと言われた」と語った。「そのため私は断念することにした」。木曜日には『ニューヨーク・ポスト』紙において、カーターは人種差別を主張していたが、「私はこの公演のプロデューサーか誰かを人種差別で非難したことはない」と語った。プロデューサーたちは新しいコマーシャルを撮影するには費用がかかり過ぎると語っている[9]。その後、製作陣はカーターを降板させ、白人女優サリー・ストラザースを起用した。14回のプレビュー公演、239回の本公演の後、1997年10月19日に閉幕した[10]
1998年、ウエスト・エンド再演

1998年9月30日から1999年2月28日まで、ヴィクトリア・パレスにてウエスト・エンド再演が上演された。ミス・ハニガン役は当初レスリー・ジョセフが主演していたが、その後ポール・オクラディが女装したキャラクターであるリリー・サヴェイジが演じ、ウォーバックス役はケヴィン・コルソンが演じていた。アニー役はシャーリン・バートン、ターシャ・ゴールド、リディ・ゴア、ソフィ・マクシェラが演じた[11]
1999年 - 2000年、全米ツアー

1999年8月、ブロードウェイ再演終了後、メレディス・アン・ブルがアニー役を演じた全米ツアー公演が開幕した。2000年春、ダフィ役を演じていたアシュリー・ウィアロンスキがアニー役を演じることとなった。2000年7月、ダナ・ベネディクトがアニー役を演じることとなった。
2000年 - 2001年、オーストラリア・ツアー

2000年から2001年にかけ、シドニー、メルボルン、ブリスベンを巡業するオーストラリア・ツアーが行われた。ウォーバックスをアンソニー・ウォーロウ、ミス・ハニガンをアマンダ・マグルトンが演じた。ウォーロウのために新曲『Why Should I Change a Thing』が追加された[12]。アニー役はレイチェル・マーリーとジョディ・マゴウが演じた。各都市でアニー役2人と、7人の孤児のうち2人が新たに参加していた[13]
2001年 - 2010年、全英ツアー

2001年、リンカーンのシアター・ロイヤルでの1か月公演を含む全英ツアーが上演された。アニー役はケイト・ウィニーとジェマ・カーライル、グレイス役はルイス・イングリッシュ、ミス・ハニガン役はヴィッキー・ミシェル、ウォーバックス役はサイモン・マスタートン・スミスが演じた。公演は成功し、最初の2回のツアーとマレーシアゲンティンハイランドではアニー役はフェイ・スピトルハウスとルーシー・メイ・ベイカーが演じた。ミス・ハニガン役はスー・ポラードとルース・マドック、ウォーバックス役はマーク・ウィンターが演じた。2001年からのツアーが2007年に一時終了し、2008年9月に再開した。2011年、ミス・ハニガン役はポラード、ウォーバックス役はデイヴィッド・マカリスター、アニー役はヴィクトリア・サイアン・ルイス、グレイス役はシモン・クラドックが演じ、終演した[14]
2005年 - 2010年、全米ツアー

2005年8月、ネットワークス・ツアーズによる30周年記念ツアー公演が開幕した[15]。マーティン・チャーニンが演出を担当した。初年度、ウォーバックス役はジョン・シャック、ミス・ハニガン役はエイリーン・ロバートソン、アニー役はマリッサ・オドネルが演じた[16]。途中、モリー役がアマンダ・バロンになるなどいくつかの交代が行われた。次年度もアニー役はオドネルが演じた[17]。2007年3月25日、2006年度のツアー公演はメリーランド州ボルチモアにあるヒポドロム・シアターで終了した。2007年度、アニー役はバロンが演じ、2008年度、ティアナ・スティーヴンスが演じた。


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