アニメ_(日本のアニメーション作品)
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ODS先行上映が行われる作品に限り映倫の審査を受けている[注 9]アダルトビデオに類するアダルトアニメ作品は「日本ビデオ倫理協会」(解散)や「日本コンテンツ審査センター」、「コンピュータソフトウェア倫理機構」など自主規制の審査を受けている[注 10]

テレビアニメのパッケージ化販売には自主規制が無い為、お色気や流血など刺激の強い表現をテレビ放送で規制したものを本来の状態に戻したり、より過激な映像の追加や差し替えなどが行われているものもある。ただし、Web配信版では表現修正されている場合がある[注 11][注 12]。詳細は「テレビアニメ#表現の自主規制」および「テレビアニメ#表現の法的規制」を参照
歴史詳細は「アニメの歴史」および「アニメーション映画#歴史」を参照
1960年代から1970年代
桃太郎 海の神兵1963年1月1日、手塚治虫による日本初の30分枠の商業用の毎週連続して放映(ただし毎回完結エピソード)のテレビアニメ(週一アニメ)番組『鉄腕アトム』の放送開始。本作は放送初期の段階では国内のアニメーターからも酷評された絵の枚数の少ないアニメーション作品ではあったが、視聴率は30%を超える人気を博し世界中で放映され、他の国のアニメーションと異なる方向に発展を遂げることになる。1960・1970年代の国産アニメの少なかった頃には『トムとジェリー』、『ポパイ』などの海外製アニメーション作品も多数放送されていたが、国産アニメも増加し、1965年に日本初のカラー制作による長期放映を前提とした連続テレビアニメ番組として『ジャングル大帝』が始まり、1969年には『サザエさん』の放送が開始、テレビまんがとして認知されるようになった。この頃から東映動画の周辺、テレビ局への納品や交通の便も良い練馬区杉並区などの西武新宿線沿線に制作会社が集結するようになり、日本一のアニメ企業集積地となっている。
1970年代後半から1980年代
出崎統長浜忠夫らがテレビアニメの演出論を模索し、『宇宙戦艦ヤマト』・『銀河鉄道999』の松本零士、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季、『風の谷のナウシカ』の宮崎駿、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の押井守、『トップをねらえ!』の庵野秀明など、後に日本アニメ界を牽引する著名なアニメ関係者が多数知名度を上げた。1980年代から1990年代にかけてフランスの子供番組で日本のテレビアニメが連続して放映され人気を博し、多くのアニメファンを育てた(この世代は、番組のパーソナリティーの名前を冠して「ドロテ世代」と呼ばれている)[43][44]。この人気を受けて、フランス以外でも日本のテレビアニメの放送が増えていき、日本アニメの国際的受容のきっかけとなった。
1990年代
新世紀エヴァンゲリオンの英語版ロゴ『ちびまる子ちゃん』『クレヨンしんちゃん』『美少女戦士セーラームーン』『新世紀エヴァンゲリオン』などが社会現象的ヒットを達成した。『新世紀エヴァンゲリオン』は1997年に再放送が深夜帯に行われ、異例の視聴率5%台などの事例もあった。
1990年代末期から2000年代前半
千と千尋の神隠しのロゴ少子化による朝夕やゴールデンタイムのアニメ放送枠の視聴率低下、ポケモンショック少年犯罪などを理由とする自主規制により、アニメ枠はニュースや情報番組、バラエティ番組などに改変されていった。アニメは削減された放送枠を補うように、以前から青年層向けに単発で放送されていた深夜枠へ移行、国民的アニメなどと呼ばれる長寿作品と、玩具メーカーがスポンサーをする子供向けアニメ以外は、朝夕やゴールデンタイムで放送しても視聴率が取れないことから、ほぼ放送枠を失い、深夜枠の放送時間が上回るようになった。従来のターゲットである少年少女児童向けから、中高生や成人アニメファン向けにターゲットを絞った低予算の深夜アニメが激増し、2000年には7本だったものが、2004年には60本制作された。一方で粗製濫造も発生し、もともと視聴者が少なく、低視聴率でスポンサーが付きにくい時間帯という事情もあるが、低予算の作品を乱発したことにより品質の低下(作画崩壊)なども起きた。深夜帯ゆえの注目度の低さを補う為に人気のある声優に頼った作品が増え始め、後にアイドル声優などとと呼ばれる流れとなった。劇場アニメでは、宮崎駿監督、スタジオジブリ制作『もののけ姫』では邦画アニメーション初となる興行収入100億円を突破し、最終的には193億円を記録した。『千と千尋の神隠し』は国内興行収入が300億円を超え世界で評価され、第75回アカデミー賞長編アニメーション映画賞第52回ベルリン国際映画祭金熊賞などを受賞した。ただしスタジオジブリではこの頃からメインキャラに声優ではなく俳優を使う作品が増加していき、他の劇場アニメにも波及した。2002年公開『ほしのこえ』は、新海誠が監督・脚本・演出・作画・美術・編集をほとんど一人で行ったことでも注目を集めた。フルデジタルアニメーション個人制作では他に類を見ないほどの出来として、大きく評価され世界中で様々な賞を受賞した。
2000年代後半
増加した深夜アニメであったが、地方都市では放送数が限られ偏りがあった。さらに2005年頃から、作品数が増える一方でキー局の深夜アニメ枠増加の頭打ちの傾向が見られ、放送枠が無い深夜アニメは、首都圏や関西圏といった人口密集地域を放送地域とするローカル局の独立放送局と、全国放送ではあるが普及途上であったBSデジタル放送、有料のCS放送に追いこまれた。三大都市圏では深夜アニメが地上波で年間100本を超えるような地域がある一方で、1本も放送されない地方も存在した。また主要メディアでの扱いは黙殺に近かった。しかし、その頃からインターネットの大衆化により、一般のマスメディアでは取り上げられない深夜アニメに関する情報が入手しやすくなり、じわじわとではあるが視聴者が増えていくようになった。また、情報番組でも2005年放送のドラマ『電車男』ブームで「萌え」という言葉が新語・流行語大賞のトップテンを受賞したことに便乗して、秋葉原メイド喫茶などアニメやそれに関連する情報が批判的な物も含め出回るようになり、いわゆるオタクに興味を持つ者や、逆に偏見を持つ者が増え混沌とした状態になった。そんな中、2006年に『涼宮ハルヒの憂鬱』『コードギアス 反逆のルルーシュ』等のヒットから深夜アニメブームが発生。京都アニメーションシャフトピーエーワークスなど演出が特徴的なアニメーション制作会社が話題となり、認知度は大きく向上した。一方、その普及の立役者のひとつが動画サイトによる海賊版であったという難しい側面もあった。
2010年代


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