Animation(アニメーション)は、ラテン語で霊魂を意味するAnima(アニマ)に由来しており、生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する[2]。映画が誕生し、フィルム上に1枚ずつ描画して動きを表現していたものを実写と区別してAnimated Cartoonと称していたが、やがてAnimationと呼ぶようになった[3]。
日本における導入と訳語の変化「アニメの歴史」も参照
明治期末に国外から短編アニメーションが輸入、上映され、「凸坊新画帖」と題されて公開された。これが最初のアニメーションの日本語訳ともみなされる。
黎明期の国産アニメ第1号としては長く、映画雑誌『キネマレコード』1917年(大正6年)7月号に、天然色活動写真株式会社(天活)が東京・浅草のキネマ倶楽部で同年1月に上映したとの記述があり、作品名は「芋川椋三玄関番の巻」(下川凹天作)の可能性が高いとされてきた。これに対して、ドイツの研究者が同作品の公開は4月で、天活で下川が制作した「凸坊新画帖 名案の失敗」が1917年2月初旬上映で先行するとの異説を提起。さらにアニメ史研究家の渡辺泰らが『活動写真雑誌』1917年3月号に、同年1月に下川作「凸坊新画帖 芋助猪狩の巻」が封切られたとあることを指摘したが、フィルム現物や他の記録が未発見なため、未だに確定していない[4]。
アニメの主流である商業用セルアニメーションは、映画の場合は「漫画映画」、テレビの場合は「テレビ漫画」と呼ばれていたが、今日では「Animation」をそのままカタカナに訳した「アニメーション」、略して「アニメ」と呼ばれている。「動画」は、日本最初期のアニメーション制作専門会社である日本動画株式会社設立に加わったアニメーターの政岡憲三による提唱で、アニメーションの日本語訳として使われ、その後もアニメーション業界団体が多数加盟している社団法人日本動画協会や、制作工程での原画・動画としてなどにも使われている。さらに遡ると、「線画」「漫画」「繰画」という呼称があったという。 映画のクレジット等の記録では、1930年代は「線画」がほとんどであった。「線画」の概念には、「線」による「画」という意味があり、実写映画に使われる地図、グラフや図表などを意味することがあった。スタッフはアニメーションだけでなく、地図、グラフや表、字幕なども描くことがあった[5]。 1940年代は「線画」と「動画」が混在し、第二次世界大戦後は、ほとんど「動画」が使われるようになった。 1943年のアニメーション入りの実写映画『ニッポンバンザイ』(朝日映画社)では、「線画」が使われている[6]。同年のフルアニメーション映画『くもとちゅうりっぷ』[7]では、「動画」がクレジットに使用され、製作は松竹動画研究所となっている。1944年、それまで「線画」を使用していた朝日映画社も、『フクちゃんの潜水艦』で「動画」のクレジットを入れる[8]。 1947年、日本動画社が設立。製作された『すて猫トラちゃん』でも、「動画」がクレジットとして使われた[9]。
線画から動画へ