アニメーション映画
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アジアでは、1941年に中国において万籟鳴と万古蟾の監督で公開された『西遊記 鉄扇公主の巻』がアジア初の長編アニメーション映画とされる。1942年に戦時下の日本に輸出され、当時16歳の手塚治虫に影響を与えると共に、海軍省に長編アニメーション映画『桃太郎 海の神兵』(1945年)を制作させる動機となった。

アメリカでは、テレビ時代になってからも劇場短編アニメがテレビで繰り返し放送されている。日本でも、1960年代からテレビアニメが量産されるまで、『トムとジェリー』『ポパイ』『スーパーマン』『ベティ・ブープ』などの劇場短編アニメがテレビで何度も再放送されていた。「アニメの歴史」も参照
アメリカ合衆国

20世紀初頭のアメリカ合衆国では、ジェームズ・スチュアート・ブラックトンが、アニメーション映画の先駆的作品とも言える、黒板に描かれたチョークの絵を用いた『愉快な百面相』(1906年、原題: Humorous Phases of Funny Faces)や[1]、幽霊屋敷の怪奇現象をトリックにより再現した『幽霊ホテル』(1907年、原題: The Haunted Hotel)などのコマ撮り実写映画を撮影していた[2]

アニメーションの父ウィンザー・マッケイ[2]はブラックトンに触発され、寄席でのヴォードヴィル公演に使用する目的で、『リトル・ニモ』(1911年、原題: Little Nemo)などの短編アニメーション映画を製作した。これらの作品は映画館でも上映され、アニメーションの商業的利用に対する先鞭を付けた(しかしながら、マッケイ自身は商業アニメーションに対しては否定的であった)。また、マッケイの『恐竜ガーティ』(1914年、原題: Gertie the Dinosaur)に登場するガーティは、世界最初の個性を備えたアニメーションキャラクターとして評価されている。

前述のように、テレビが大衆化する以前にはニュース映画の前座として短篇アニメが大量に作られた。これらの短編から、世界中で広く知れ渡っているディズニーミッキーマウスドナルドダックメトロ・ゴールドウィン・メイヤートムとジェリーフライシャー・スタジオベティ・ブープワーナー・ブラザースバッグス・バニーなどの人気キャラクターが生まれた[2]

映画史上に残る偉業を数多く成し遂げた『白雪姫』(1937年)は世界初のカラー長編アニメーション映画となった[2](カラーではなく白黒のアニメーションだがアルゼンチンでは1931年キリーノ・クリスティアーニにより長編アニメーション『ペルードポリス』が公開されている)。1960年代までの詳細については「アメリカン・アニメーションの黄金時代」を参照

ウォルト・ディズニー以外にアメリカにおけるアニメーションに大きな影響を与えた人物にテックス・アヴェリー(本名フレデリック・ビーン・アヴェリー)がいる。テックス・アヴェリー派というトレンドを作り上げ、エキセントリックなキャラクター、動きを得意とした。創作した代表的なキャラクターにドルーピーなどがあり、ジム・キャリー主演の映画『マスク』など後のアメリカ映画、アメリカン・コミックスに大きな影響を与えた。

1980年代からはコンピュータグラフィックスによるアニメ製作が模索され始めた。コンピュータグラフィックスによるアニメーションはトロン(1982)やジュラシック・パーク(1993)など実写映画ではすでに使用され始めていた。ピクサー社トイ・ストーリー1995年)を皮切りに、3次元コンピュータグラフィックスによる劇場用アニメーションが数多く制作され始め、現在ではむしろ主流になりつつある。

ディズニーは21世紀以降も名作の長編アニメーションを作り続けており、特に『アナと雪の女王』(2013年)は、世界の興行収入が12億ドルを記録するなど、世界歴代興行収入で第5位を記録した。同作品は日本の興行収入でも200億円を越えており、日本で公開されたアニメーション映画としては『千と千尋の神隠し』(2001年)に次ぐ第2位(公開当時)の興行収入を記録している。
ロシア

ソ連時代に長編アニメ映画で「せむしの仔馬」などが製作されている。ソ連ではスターリンの指示によりディズニーのようなアニメを作ることが求められていた。スターリンの死後、ロマン・カチャーノフが児童向け物語であるチェブラーシカをアニメーション化するなど、ロシアアニメ界に貢献し高い評価を得ている。脚本家にはマリーナ・ヴィシネヴェツカヤなどがいる。
チェコ詳細は「チェコのアニメーション」を参照

チェコは、伝統的に人形劇が盛んであり、経済的理由からセルを使うことが困難であった。従って人形アニメーションが盛んである。代表的な作家にイジー・トルンカ1912年-1969年)などがいる。トルンカの代表作は『真夏の夜の夢』(1959年)、『手』(1965年)などがあり、とくに『手』は1968年ソ連介入を予見させるものだとして高い評価を受けている。
中華民国

中華民国では1941年に、アジア初の長編アニメーション映画『鐡扇公主』が、万籟鳴と万古蟾兄弟により制作された。
全世界の歴代アニメーション映画の興行成績「興行収入上位のアニメーション映画一覧」も参照

アメリカ合衆国メジャー映画会社が配給する作品が世界市場でも大きな地位を占めており、下記の表に掲載する興行収入世界上位作品は全て米国メジャーによるものである。またアニメーション制作スタジオの体制についても、2006年ディズニーによるピクサー買収、2007年20世紀フォックスのアニメプロデューサーがイルミネーションを設立してユニバーサルへ移籍、2016年のユニバーサルによるドリームワークス・アニメーション買収といった変遷をたどった結果、2016年時点での興行収入上位作品の制作スタジオはディズニーとユニバーサルの2系列による寡占状態に収れんされた。

下記の表でも、ディズニー傘下(ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオとピクサー・アニメーション・スタジオの2スタジオ)とユニバーサル傘下(イルミネーション・エンターテインメントとドリームワークス・アニメーションの2スタジオ)の制作スタジオに、フォックス傘下の制作スタジオ(ブルースカイ・スタジオと20世紀フォックス・アニメーションの2スタジオ)を加えた3系列の作品でほぼ占められていることが分かる。

全世界興行収入上位の米国アニメーション映画
出典集計時点で上映継続中の作品を除く[3]作品名配給会社制作会社公開年興行収入


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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