1786年9月、連合規約下でそれぞれ独立した主権を有していた諸州が州間通商上の障壁を取り払うべく、アナポリス会議が開かれた。しかし、参加したのはニューヨーク、ペンシルベニア、バージニア、ニュージャージー、デラウェアの5州だけであった。4日間に渡って会議が行なわれたが、結局ここでは成果が上がらず、議題はフィラデルフィアでの再会議に持ち越された。アメリカ合衆国憲法はフィラデルフィアでの再会議よりも前に制定されていた。1808年、議会は奴隷の輸入を禁止し、アナポリスを長きにわたって支えてきた奴隷貿易に終止符が打たれた。
南北戦争中、アナポリスにはペイロール・キャンプ(Parole Camp)が置かれた。戦争が長引くにつれて、キャンプは市の外側にも広がっていった。キャンプのあった地域は、現在でもペイロールと呼ばれている。また、アナポリスには大規模な病院も置かれ、北軍・南軍捕虜を問わず、負傷兵の治療にあたっていた。 州会議事堂のドームよりアナポリス市街を望む(1911年) アナポリスは歴史的な建造物を数多く残す町として知られている。州の財務局のビルのすぐ近くには、17世紀後半に建てられた植民地代表者の官邸が残っている。アンネ聖公会(Saint Anne's Protestant Episcopal church)は、植民地時代には州の教会であった。18世紀に建てられた住居も数多く残っている。市内の何本かの通りにはキング・ジョージ、プリンス・ジョージ、ハノーバー、デューク・オブ・グロスターなど、植民地時代を想起させる名称がついている。 アナポリスにキャンパスを構えるリベラル・アーツ・カレッジ、セントジョンズ大学は、ハーバード大学、ウィリアム・アンド・メアリー大学に次いで全米で3番目に長い歴史を持つ大学である。同学はもとはメリーランド植民地の法律の下で1696年に創立され、1701年に開校したグラマー・スクール、キング・ウィリアムズ・スクール(King William's School)であった。その代表的な建物であるマクドウェル・ホール(McDowell Hall)は、もともとはメリーランド植民地総督の官邸として建設が予定されたもので、1742年には建設費4,000ポンドが承認されていたが、実際に完成したのは独立戦争後のことであった。1789年、キング・ウィリアムズ・スクールは高等教育機関として改組され、現在のセントジョンズ大学となった。 メリーランド州会議事堂は現在でも使用されている立法機関の庁舎としては全米最古のものである。議事堂の建設は1772年に始まり、最初の州会は1779年に開かれた。庁舎の屋上のドームは、釘なしで造られた木製のものとしては全米最大である。1783年11月26日から1784年8月13日にかけては、アナポリスが合衆国の首都となり、このメリーランド州会議事堂が連邦議会議事堂を兼ねた。1784年1月14日にはこの議事堂でパリ条約が批准された。 この議事堂は1783年12月23日にジョージ・ワシントンが陸軍最高司令官の辞任を議会に申請した場所として知られている。ワシントンはアナポリスをアメリカ合衆国の恒久的な首都として定めるよう熱心に訴えていた。また、ワシントンはメリーランド州会議事堂への愛着が強く、後にワシントンD.C.にアメリカ合衆国議会議事堂が建てられることになった際に、メリーランド州会議事堂に似せてデザインするようにとピエール・シャルル・ランファンに命じた、と言われている。
名所・ランドマーク
歴史的建造物
メリーランド州会議事堂メリーランド州会議事堂