アドルフ・ヒトラー
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1925?1932:無国籍
(35?43歳)
1932?1945 : ドイツ人
(43?56歳)
政党 ドイツ労働者党 (1920?1921)
党員番号:555番
国民社会主義ドイツ労働者党   (1921?1945)
党員番号:1番
配偶者エヴァ・ブラウン(1945)
アロイス・ヒトラー (父)
クララ・ヒトラー (母)
出身校基礎学校(小学校)修了
シュタイアー実科学校中退
民事の受賞 黄金党員名誉章
血盟勲章
署名
兵役経験
所属国 ドイツ帝国
ヴァイマル共和国
ドイツ国
所属組織 ドイツ帝国陸軍


バイエルン王国陸軍 
ヴァイマル共和国陸軍
突撃隊
ドイツ陸軍
軍歴1914年 - 1920年
(ドイツ帝国陸軍)
1938年 - 1945年
(ドイツ国防軍)
最終階級 陸軍伍長勤務上等兵
指揮 突撃隊最高指導者
国防軍最高司令官
陸軍総司令官
戦闘第一次世界大戦
第二次世界大戦
軍事の受賞 一級鉄十字章
二級鉄十字章
戦傷章黒章

アドルフ・ヒトラー(ドイツ語: Adolf Hitler ドイツ語: [?a?d?lf ?h?tl?] ( 音声ファイル)[1](アードルフ・ヒトゥラ), 1889年4月20日 - 1945年4月30日)は、ドイツ政治家[2]ドイツ国首相、および国家元首総統)であり、国家と一体であるとされた国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の指導者[2]

1933年に首相に指名され、1年程度で指導者原理に基づく党と指導者による一極集中独裁指導体制を築いたため、独裁者の典型とされる[注 2]。ドイツ民族至上主義者であり[2]、その冒険的な外交政策と人種主義に基づく政策は、全世界を第二次世界大戦へと導き、ユダヤ人などに対する組織的な大虐殺「ホロコースト」を引き起こした[3]ソ連軍によるベルリン占領を目前にした1945年4月30日夫人のエヴァ・ブラウンと共に自ら命を絶った
概要

出生地はオーストリア=ハンガリー帝国オーバーエスターライヒ州。父のアロイス・ヒトラーオーストリア帝国大蔵省の守衛であり、母のクララ・ヒトラーはアロイス宅の住み込み家政婦であった。

第一次世界大戦までは無名の一青年に過ぎなかったが、戦後にはバイエルン州において、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の党首としてアーリア民族を中心に据えた人種主義反ユダヤ主義を掲げた政治活動を行うようになった。1923年に中央政権の転覆を目指したミュンヘン一揆の首謀者となり、一時投獄されるも、出獄後は合法的な選挙により勢力を拡大した。

1933年には大統領による指名を受けてドイツ国首相となり、首相就任後に他政党や党内外の政敵を弾圧し、ドイツ史上かつてない権力を掌握した[注 3]。1934年8月、大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクの死去に伴い、大統領の権能を個人として継承した(総統)。こうしてヒトラーという人格がドイツ国の最高権力である三権を掌握し[6]、ドイツ国における全ての法源となる存在となり[6]、ヒトラーという人格を介してナチズム運動が国家と同一のものになるという特異な支配体制を築いた[7]。この時期のドイツ国は一般的に「ナチス・ドイツ」と呼ばれることが多い。

ヒトラーは人種主義優生学ファシズムなどに影響された選民思想(ナチズム)に基づき、北方人種が世界を指導するべき主たる人種(ドイツ語版)と主張していた[8]。またニュルンベルク法や経済方面におけるアーリア化など、アーリア人の血統を汚すとされた他人種である有色人種(黄色人種黒色人種)や、ユダヤ系スラブ系ロマとドイツ国民の接触を断ち、また迫害する政策を推し進めた。またドイツ民族であるとされた者でも、性的少数者退廃芸術障害者、ナチ党に従わない政治団体・宗教団体、その他ナチスが反社会的人物と認定した者は民族共同体の血を汚す「種的変質者」であるとして迫害・断種された(生きるに値しない命[9][10]

さらに1937年の官邸秘密会議や著書『我が闘争』で示されているように、自らが指導する人種を養うため、旧来の領土のみならず「東方に『生存圏』が必要である」として帝国主義的な領土拡張と侵略政策を進めた[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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