自殺に使われたピストルはヒトラーの足元に落ちていた[29]。彼の頭から滴った血が、居間の床に血だまりをつくっていた[33][34]。総統護衛部隊員のローフス・ミシュSS曹長によれば、ヒトラーの頭部は前方のテーブルの上に横たわっていたという[35]。リンゲの証言では、エヴァの死体には外傷が見当たらず、その顔からはシアン化物を用いて服毒自殺したことが見て取れた[注釈 3]。
ギュンシェが居間を出て、ヒトラーの死を地下壕に残る人々に発表した。その後すぐに、人々は煙草をふかし始めた(ヒトラーは生前喫煙を嫌悪し、許可しなかった[36][37][38])。ヒトラーの生前の指示に従い、2人の死体は地上階に運ばれ、地下壕の非常口を経て、総統官邸裏の中庭に開いた砲弾孔に降ろされたあと、燃やすためにガソリンを浴びせかけられた[39][40]。ミッシュは、誰かが「早く上階へ急げ、彼らはボスを燃やしている」と叫んだのを聞いたと証言している[35]。何度かガソリンへの点火に失敗したあと、リンゲはいったん地下壕に戻り、厚く巻かれた紙を持って帰ってきた。その後、ボルマンが紙に火をつけ、それを死体の上に投げた。燃え上がったヒトラーとエヴァの死体に向けて、地下壕出入り口のすぐ内側からボルマン、ギュンシェ、リンゲ、ゲッベルスのほか、ヒトラー専属運転手エーリヒ・ケンプカSS中佐、RSD刑事部長ペーター・ヘーグルSS中佐、総統護衛部隊員のエヴァルト・リンドロフ(英語版)SS大尉とハンス・ライザーSS中尉らがナチス式敬礼で送った[41][42]。16時15分ごろ、リンゲはハインツ・クリューガーSS少尉とヴェルナー・シュヴィーデルSS曹長に、ヒトラーの居間の絨毯を巻き上げて燃やすよう命じた。シュヴィーデルは居間に入った瞬間、ソファのひじかけ付近に「大きな皿」ほどの大きさの血だまりがあるのが目に入ったとのちに語っている。シュヴィーデルは、空の薬莢がひとつ、絨毯の上にピストルから1ミリほど離れて落ちているのに気づき、かがんで薬莢を拾い上げた[43]。2人は血痕のついた絨毯を回収すると、総統官邸の中庭まで運び、その場で燃やした[44]。
その日の午後を通して、赤軍は断続的に総統官邸の付近を砲撃していた。ヒトラーらの遺体をさらに燃やすため、親衛隊員が追加のガソリン缶を運んできた。リンゲによれば、燃やしたのが屋外であったため、2人の亡骸を完全に燃やし尽くすことはできなかったとしている[45]。遺体の焼却は16時から18時30分にかけて行われた。18時30分ごろ、リンドルフとライザーが燃え残った2人の亡骸を掩蔽した[46]。
余波エヴァ・ブラウンとヒトラー、愛犬ブロンディ(1942年6月)
5月1日、ラジオ局「帝国放送局ハンブルク」(Reichssender Hamburg)は通常の放送を中断し、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」第四部「神々の黄昏」の演奏を流し、その合間にまもなく重大放送が発表されるとアナウンスした。その後、ブルックナーの「第七交響曲」が流されたあと、アナウンサーが総統大本営発表としてヒトラーが総統官邸で戦死し、遺言で後継者にカール・デーニッツ海軍元帥を指名したことを発表した[47]。