アドルフ・ヒトラーの死
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同日13時ごろ、ヴァイトリングは夜を待って脱出を試みることについてヒトラーからの許可を得た[26]
自殺ヒトラーの死の時点におけるヨーロッパ戦線の状況。
白:ナチスの統制下
ピンク:連合国の統制下
赤:戦闘継続中
灰色:中立国

4月30日の昼、ヒトラーは秘書官ユンゲとゲルダ・クリスティアン、専属料理人のコンスタンツェ・マンツィアーリーの4人で最後の食事となる昼食をとった。献立は野菜のスープとマッシュポテトであったとも[27]ラビオリであったとも言われている。食事を終えたヒトラーとエヴァは、地下壕のスタッフや、ゲッベルス一家やマルティン・ボルマン一家、秘書官や国防軍の将校らに最後の別れを告げた。

14時30分ごろ、ヒトラーとエヴァは執務室の奥にある居間に入っていった[26][28]。「15時30分ごろに大きな銃声を聞いた」と、複数の証人がのちに伝えている。

数分待って、ヒトラーの護衛係であった総統警護隊ハインツ・リンゲSS中佐が、ボルマンの立ち合いのもと居間のドアを開けた[29]。すぐに焦げたアーモンドの匂いに気付いたと、リンゲはのちに証言している。これは青酸(シアン化水素水溶液)の一般的な特徴として知られている[29]。ヒトラーの副官のオットー・ギュンシェSS少佐が居間に入り、ソファに腰かけた2人の死体を確認した。エヴァの死体はヒトラーの左手にあり、膝を胸に抱え込んだ姿勢で、彼から遠ざかるように倒れていた。ヒトラーの死体の状態についてギュンシェは「ぐったりと座っており、右のこめかみからは血が滴っていた。彼はワルサーPPK7.65で自らを撃ったのだ」と述べた[29][30][31]。今日では、ヒトラーはまずシアン化物(青酸カリ)のカプセルを噛み砕き、すぐに右のこめかみをピストルで撃ったものと考えられている[32]

自殺に使われたピストルはヒトラーの足元に落ちていた[29]。彼の頭から滴った血が、居間の床に血だまりをつくっていた[33][34]。総統護衛部隊員のローフス・ミシュSS曹長によれば、ヒトラーの頭部は前方のテーブルの上に横たわっていたという[35]。リンゲの証言では、エヴァの死体には外傷が見当たらず、その顔からはシアン化物を用いて服毒自殺したことが見て取れた[注釈 3]

ギュンシェが居間を出て、ヒトラーの死を地下壕に残る人々に発表した。その後すぐに、人々は煙草をふかし始めた(ヒトラーは生前喫煙を嫌悪し、許可しなかった[36][37][38])。ヒトラーの生前の指示に従い、2人の死体は地上階に運ばれ、地下壕の非常口を経て、総統官邸裏の中庭に開いた砲弾孔に降ろされたあと、燃やすためにガソリンを浴びせかけられた[39][40]。ミッシュは、誰かが「早く上階へ急げ、彼らはボスを燃やしている」と叫んだのを聞いたと証言している[35]。何度かガソリンへの点火に失敗したあと、リンゲはいったん地下壕に戻り、厚く巻かれた紙を持って帰ってきた。その後、ボルマンが紙に火をつけ、それを死体の上に投げた。燃え上がったヒトラーとエヴァの死体に向けて、地下壕出入り口のすぐ内側からボルマン、ギュンシェ、リンゲ、ゲッベルスのほか、ヒトラー専属運転手エーリヒ・ケンプカSS中佐、RSD刑事部長ペーター・ヘーグルSS中佐、総統護衛部隊員のエヴァルト・リンドロフ(英語版)SS大尉とハンス・ライザーSS中尉らがナチス式敬礼で送った[41][42]。16時15分ごろ、リンゲはハインツ・クリューガーSS少尉とヴェルナー・シュヴィーデルSS曹長に、ヒトラーの居間の絨毯を巻き上げて燃やすよう命じた。シュヴィーデルは居間に入った瞬間、ソファのひじかけ付近に「大きな皿」ほどの大きさの血だまりがあるのが目に入ったとのちに語っている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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