アドミラル・ウシャコフ級海防戦艦
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その後、1894年4月までに上部構造や発電設備の組み立てが完了し、6月28日と7月1日に水上公試が行われた[11]。この時は排水設備と操舵装置がまだ使用できなかったため、1年後の1895年8月に最初の試験航行が行われた。9月には12時間の航行テストに合格し、最大速力16.1ノットを記録した。10月に254mm主砲塔の設置が開始されたが、砲自体は1897年に設置された。1896年10月17日、海軍省から公試合格の裁定が下り艦籍が認められ、1か月後に正式に海軍に引き渡された[12]アドミラル・セニャーヴィン(1896年秋、クロンシュタット

「セニャーヴィン」の起工式は1893年4月8日に行われ、建造には「ウシャコフ」を超える時間がかかった[13]。1894年8月10日に進水し、1896年秋まで海上公試に供された。主砲の工事は製造元のオブコフ製鉄所(英語版)が直接担当したため「ウシャコフ」より早く254mm砲を搭載することができた。完成したのは1897年で[14]、その総工費は4,339,300ルーブルに上った[15]

1893年12月、ピョートル大帝の下でロシア海軍の創設に尽力したフョードル・アプラクシンに因んで「ゲネラル=アドミラル・アプラクシン」と命名された3番艦を建造することが決定された。建造準備は1894年2月に始まり、10月12日に船架の建設工事が始まり、1895年5月20日に完了した[16]。同年に主任設計士のドミトリー・スクヴォーツォフ(ロシア語版)の提案により設計が見直され、主砲の改良と構成変更(後述)、装甲帯へのハーヴェイ鋼(英語版)の採用、艦橋上の47mm砲への軽装甲の装備が行われた[17]

「アプラクシン」は1896年4月30日に進水し、1898年の秋までに海上公試を終えた。改良された主砲の試射は1899年の夏に行われた[18]
4番艦以降の建造計画

1895年3月に採用された1902年までの造艦計画によれば、更に4隻の同型艦を建造する計画があった[19]。1899年4月、この計画は1898年の「極東艦隊向けの戦艦建造計画」と統合され、アドミラル・ウシャコフ級を基に極東艦隊向けの戦艦が新たに設計されることになった[20]

アドミラル・ウシャコフ級改良型の計画は1897年10月に海軍大臣パーヴェル・ティルトフ(ロシア語版)により技術委員会に命じられた。特に堪航能力を向上させるため、船首塔の機能を船首内部に移し、装甲甲板と舷側外板に傾斜を追加することが提案された。煙管ボイラーはベルビル式水管ボイラーに置き換える計画であったが、研究に携わったアポロ・クロトコフとニコライ・クテイニコフ(ロシア語版)は石炭の積載量と最大速力16ノットは維持すべきと考えていた[21]

1899年4月、アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公は203mm速射砲を装備した戦艦、海防戦艦、装甲巡洋艦の概略の作成を命じた。完成したそれに基づいてドミトリー・スクヴォーツォフ(ロシア語版)による技術検討が行われた。戦艦と装甲巡洋艦の案は技術委員会によって却下されたが、海防戦艦の提案は採用され、当時防護巡洋艦「ヂアーナ」の建造が行われていた新アドミラルティ造船所のドックで建造されることが決定した[22]。1900年1月7日、ティルトフは新アドミラルティ造船所に新型戦艦を建造するためのドックの増築を命じ、3月には造船総局から工事のための10万ルーブルの予算が下りた[23]

この戦艦はロシア装甲艦隊の生みの親のひとりである、グリゴリー・ブタコフ(英語版)に因んで「アドミラル・ブタコフ」と命名される予定であった。しかし1900年9月14日、ティルトフによって作業の延期が指示され、後に計画自体が取り消された。建造のための資金は別の建艦計画に流用された[24]
諸元
艦体構造

艦体は5つの水密隔壁で区分されており、舳先は鋳造で伝統的な衝角の形状を有していた[25]。艦底は二重底で肋骨フレームとストリンガーで仕切られた防水ケージを形成していた[25]。その上に中央に直径457mm、両端に直径406mmのメイン排水パイプがあり、その枝管が全ての水密区画と船底内に張り巡らされていた。排水のために250t/hの容量を持つ蒸気排水タービンが6基、フリードマン式蒸気排出器2基と4台の蒸気式ポンプが装備されていた[26]

船体中央上部には厚さ9.5mmの装甲で覆われた全長42.6mの上部構造が建てられた。上部構造内には船倉、武器庫、士官と水兵の食堂、礼拝室が設けられていた。上部構造の上には2本の煙突、換気扇の吸気口、艦橋、司令塔が備えられていた[27]
装甲

舷側部には全長21m、幅2.1m、厚さ最大254mmのニッケル鋼板製の装甲帯(英語版)が施され、船首には厚さ203mm、船尾には厚さ152mmの装甲が施された[28]。3番艦「アプラクシン」には、より耐久性の高いハーヴェイ鋼(英語版)が採用され、装甲帯の厚みは最大で216mmとなり、船尾の装甲厚も165mmに増加した[28]

最上甲板と装甲甲板には厚さ25mmの鋼板が貼り付けられ、装甲デッキは中央で51mm、左右両端で38mmの厚さの甲状の装甲を成した[28]

司令塔は厚さ178mmの装甲で保護されており、主砲塔の装甲厚はバーベット部で152mm、砲塔前後および側面で178mm、砲塔上面で38mmとなった[28]
機関

アドミラル・ウシャコフ級にはイギリスのモーズレイ・サンズ&フィールド(英語版)とハンフリーズ・テナント&ダイクス(英語版)、そしてロシアのフランコ・ロシア社で製造された127回転2,500馬力の出力を持つ三段膨張式垂直蒸気機関2基が装備された[29][注釈 3]。蒸気を供給するボイラーは4つの煙管式ボイラーが2つのボイラー室にペアで配置されていた[29]。推進器として直径3.96mの4枚羽根スクリューを2基搭載していた[29][30]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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