AMDは1991年、最初の互換プロセッサ「Am386」を投入[11]。インテルは既に次世代製品のi486シリーズを発売しており、同プロセッサは旧世代ではあるが低価格製品として採用された[7]:2。
AMDはi486互換プロセッサ「Am486」の開発を進めていたが、インテルによるAMDのマイクロコード使用が不正なものであるとして争われた訴訟の結果、Am486は出荷差し止めの仮処分を受ける。
1993年に出荷されたAm486プロセッサは、Am486DXやAm486SX等が出荷され互換プロセッサとして好調な売れ行きを見せ、1995年には486プロセッサのアップグレードパスとしてi486互換プロセッサ「Am5x86」を出荷した。Am5x86はi486DX4とピン互換であり、160MHzで稼動させることでインテルのPentiumプロセッサ100MHzと同等、133MHzで稼動させることで75MHzと同等の性能を発揮するとして、486プラットフォーム用プロセッサとして使用された。1996年には、Pentium(P54C)プロセッサと「ピン互換」の「K5」プロセッサを出荷し、安価な互換製品として認知されていたが、開発の遅れにより収益にはあまり貢献しなかった。
当時のAMDはK5シリーズに続く開発中の次世代プロセッサK6シリーズの性能が向上しない問題に直面していた。そこで、K6と同世代のNx686を開発中だったプロセッサメーカーのNexGenを買収し、同社の開発チームを手に入れるとともに、Nx686を元にSocket 7と互換性を持つよう設計変更した「K6」プロセッサを1997年に出荷した[12]:1。K6はPentiumのSocket 7と互換性がありMMX拡張命令セットも実装した[13]。K6は発売当初からMMX Pentiumシリーズよりも高クロックで動作している。
AMDは引き続きP5バス互換プロセッサの開発を進め、K6に「3DNow!」を追加した「K6-2」を発表した[12]:1。K6-2はPentium IIに迫る性能をもち、大手メーカーが製造するPCにも採用された他、P5バスにおけるアップグレード手段としても人気があった。
その後に登場したインテルのPentium IIIに対し、AMDはK6-2に256KBのL2キャッシュを統合した「K6-III」プロセッサを開発し[12]:1、同時期のCeleronに対しては、K6-2を競合させた。
1999年に出荷されたK6-IIIプロセッサは、整数演算性能ではPentium IIIを超える性能をもっており、AMDはPentium IIIよりも高速であると主張していた。しかし、浮動小数点演算性能ではPentium IIIに及ばず、浮動小数点演算性能が重視される分野への採用は進まなかった。
浮動小数点演算性能については、3DNow!を使用することにより改善するものの、AMDは3DNow!を扱うためのライブラリを提供するのみでソフトウェアの開発環境が整わなかったことから、3DNow!に対応したソフトウェアは少なかった。
いくつかの互換プロセッサメーカーは、性能面でインテル製のプロセッサに対抗できなくなったことやインテルの知的財産保護制度の活用により方針の転換を余儀なくされた。この結果、互換プロセッサ市場からの撤退や組み込み用プロセッサ市場への移行が進んだ。一方、AMDはこの状況の中でAthlonプロセッサの開発に成功し、インテル製プロセッサと性能面で対抗できたことで、当初は価格面で劣勢を強いられてはいたがx86互換プロセッサの製造・販売を継続することができた。
Athlonの登場とモデルナンバー導入AMD Athlonプロセッサ (Slot A)
K6-IIIではPentium IIIに対抗するには不十分であったことから、AMDは1999年に浮動小数点演算性能を高めたAthlonプロセッサ(開発コードネーム「K7」)を出荷した[12]:2。訴訟の和解条件である非互換路線に転換し、独自のプロセッサバスとCPUソケット (Slot A) を採用した[12]:2。Athlonプロセッサでは、AMDのプロセッサとして初めて商標が採用された (AMD Athlon)。後にインテルのCeleronに相当する低価格ラインには「AMD Duron」の商標が付けられた[12]:2。