アドバンスト・マイクロ・デバイセズ
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K6-IIIではPentium IIIに対抗するには不十分であったことから、AMDは1999年に浮動小数点演算性能を高めたAthlonプロセッサ(開発コードネーム「K7」)を出荷した[12]:2。訴訟の和解条件である非互換路線に転換し、独自のプロセッサバスとCPUソケット (Slot A) を採用した[12]:2。Athlonプロセッサでは、AMDのプロセッサとして初めて商標が採用された (AMD Athlon)。後にインテルのCeleronに相当する低価格ラインには「AMD Duron」の商標が付けられた[12]:2。

Athlon登場時は、オフィスソフト等ではPentium IIIと同等の性能をもつとしていたK6-IIIとAthlonを併せ広報していたが、製造不良が多発していたK6-IIIの製造を打ち切り、後継にK6-IIIの下位製品であるもののK6-2+を発売した。

インテルがPentium III 1GHzの製品発表会開催の事前情報を得たことで、AMDはインテルより数日早く1 GHz (1,000 MHz)で動作するAthlonプロセッサを世界初のパソコン用プロセッサとしては発表した。その後、第7世代の開発中止で苦戦していたインテルを尻目にPentium IIIと競合しつつもAthlonは順調に性能を向上させ、人気を博した。その人気から、K7世代においてAMDはインテルから5%のシェアを奪取した。これは1つの企業が90%以上の寡占状態にある市場においては驚異的なことである。

「K7」から「Thunderbird」にかけてのAthlonはエポックメーカーとして成功したが、単純なクロック増加のみでの性能向上に限界が見えたこともあり、Athlon XP以後はキャッシュ・レイテンシの改善や、パイプライン適正化などによる効率化を重視し、クロック周波数以外での性能向上に力を注いでいく方針がとられた。しかし当時はクロック周波数の高さこそが性能の高さに直結するという風潮があった[14][15]。そこでAMDは、周波数によらない性能を表すための指標となる「モデルナンバー」を採用した[14][12]:3。モデルナンバーは、当初はThunderbird比とされ[16]、インテル製CPUのクロック周波数を意識したものではない[14]とAMDは主張していたが、その後「モデルナンバーが『他社製CPUのクロック周波数』とMHz換算で同じ(例:モデルナンバーが2000+ならばクロック周波数で2,000 MHz)であれば同等かそれ以上の性能を示す」とするプレスリリースを発表する。その当時、デスクトップ向けCPUでの『他社製』とは、実質インテルしかなかったため、このプレスリリースはインテルやクロック至上主義への対抗であることは明らかだとパーソナルコンピュータ業界ではそう思われていた。その後、インテルがPentium 4でハイパースレッディング・テクノロジーを実装してからは、このモデルナンバーとインテル製CPUのクロック周波数が当てはまらなくなり、AMDでは「自社製CPUの性能を表すひとつの指標」としている。しかし、Athlon 64(後述)の投入に合わせてモデルナンバーの再構築を行い、再びインテル製CPUのクロックの性能と同じであることを示すモデルナンバーを用いている。
AMD64(Athlon 64、Opteron、Phenom)AMD Athlon64プロセッサ (Socket 754)AMD Athlon64FXプロセッサ

AMDはK7コアの後継であるK8コアにおいてx86-64(後にAMD64と改称)と呼ばれる命令セットを採用し、2003年にサーバ向けがOpteronとして、デスクトップ向けがAthlon 64として発売された[17]。価格競争の続くコンシューマー向けCPUとは違って高収益を確保できるサーバ市場向けCPUへの参入はAMDの悲願であった。

AMD64では既存のx86命令セット (IA-32) を拡張し、x86命令セットと上位互換の64ビット命令セットを実装した。一方、サーバ向けCPUとしてOpteronのライバルとなるItaniumを発表したインテルが実装していた64ビット命令セットであるIA-64は、従来の主流であったx86命令セットとの互換性が無かったため、特にサーバ市場においてはIA-64よりも比較的安価にそしてx86からの連続的な移行を可能とするAMD64命令セットが支持され、AMDはサーバー市場で大きな成功を収めた。サーバー市場に大きな影響力を持つマイクロソフトもインテルにAMD64と互換のある命令セットの採用を要請、これを受けてインテルもAMD64と互換のある命令セットのIntel 64を実装したプロセッサを発売せざるを得なくなり、後にマイクロソフトはAMD64に対応するWindowsをx64 Editionとして発売した。こうして32ビットCPU時代はインテルの提唱したIA-32が市場の主流であったものが、64ビットCPUではAMDの提唱したAMD64が市場の主流となった。

2005年4月、AMD初のデュアルコアCPUであるOpteron Dual-Coreを発表、数ヶ月後にはデスクトップ向けのデュアルコアCPUであるAthlon 64 X2シリーズを発表した[18]。2008年にはデュアルコア版SempronをSempron 2000 として発売し、AMDはマルチコア時代への移行を果たした。Athlon 64 X2シリーズは64ビットCPUが当たり前となった2007年4月にはAthlon X2と改称された。

2007年9月、AMDはK8の次期コアとしてK10を発表し、その最初の製品としてクアッドコアの第三世代Opteronをリリース。ほどなくデスクトップ向けとしてもAMD Phenomの名称で発売された。同時にPhenomがAMDのメインストリームCPUとなり、Athlonはバリュー(低価格帯)へと移行された。1つのCPUにデュアルコアが2ダイ収められたIntel Core 2 Quad(Kentsfield)に対し、Phenomは4つのコアを1ダイに収めた「真のクアッドコア」と称していたが、初代Phenomは65nmプロセスで製造されていたため、45nmプロセスを採用したインテル製品には及ばなかった。2009年1月には45nmプロセスに移行したPhenom IIをリリースするも、性能や価格的にはCore 2 Quadの最上位製品と互角になり、Core i7 920とも勝負できる製品となる。後にリリースされたPhenom II X6では6コアに拡張され、Lynnfieldに匹敵する性能を発揮するも、Core i7 Extremeには及ばなかった。
AMD FX詳細は「AMD FX」を参照

2011年10月にはK10コアの後継となるBulldozerコアを採用した最初のCPUであるハイエンド向けのAMD FXシリーズが発表された。Bulldozerコアは従来のコアとは違ってスクラッチでゼロから設計された。


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