当初、AMDはインテルのセカンドソースでプロセッサやペリフェラルチップを製造するメーカーの一つだった。しかし黎明期からAMD独自設計のFPUであり8ビットCPU時代における事実上の標準(デファクトスタンダード)となったAm9511/Am9512(後にインテルがAm9511のセカンドソース8231(英語版)を製造)や、インテルの8257よりも高性能なDMAコントローラAm9517Aを開発する技術力を示した(後にインテルがAm9517Aのセカンドソース8237A(英語版)を製造)。
しかしインテルは、1985年発表のIntel 386プロセッサ(当初の名称は80386)以降、インテルはセカンドソースを認めず、製造に必要な重要資料を公開しない方針を取った[7]:1。多くのセカンドソースメーカーはそれを期に撤退したが、AMDをはじめとした数社は独自の開発を行い同一ではないものの互換性のあるプロセッサの製造を開始する方針をとっていった。
年表年
1975インテルとセカンドソース契約を締結。当時のライセンスは8085[8][要検証 – ノート]
1982インテルと8088のセカンドソース契約締結[9]。IBMがIBM PCに搭載するチップにセカンドソースを要求したため、インテルはAMDを含む複数の製造会社と契約せざるを得なかった[9]。
1987386ライセンスに関しインテルとの12年に及ぶ訴訟が始まる[7]:2。この訴訟は1994年に結審し[7]:2、それを受けて今後はインテルの知的財産を利用しない条件で互換プロセッサの開発販売の権利を得た。
1988インテルがAMDを80286の特許権侵害で告訴[7]:2。だが、インテルの提出した証拠書類に改ざんがあった事が発覚[7]:2、また、セカンドソースライセンスが有効と認められ再審の結果AMDが勝訴。
2009AMDとインテルは和解を発表[10]。和解によって両社は独占禁止法やライセンスなどのすべての訴えを取り下げ、5年間の特許クロスライセンスを締結し、インテルはAMDに12億5000万ドル(約1,140億円)を支払い、パソコンメーカーと不当な契約を行わないことで合意した。ただし、両社間だけの問題ではないインテルの独占禁止法違反に関する調査は、米連邦取引委員会や欧州委員会などの各国機関で継続。
互換プロセッサの開発と路線の変更Am386DXプロセッサ
AMDは1991年、最初の互換プロセッサ「Am386」を投入[11]。インテルは既に次世代製品のi486シリーズを発売しており、同プロセッサは旧世代ではあるが低価格製品として採用された[7]:2。
AMDはi486互換プロセッサ「Am486」の開発を進めていたが、インテルによるAMDのマイクロコード使用が不正なものであるとして争われた訴訟の結果、Am486は出荷差し止めの仮処分を受ける。
1993年に出荷されたAm486プロセッサは、Am486DXやAm486SX等が出荷され互換プロセッサとして好調な売れ行きを見せ、1995年には486プロセッサのアップグレードパスとしてi486互換プロセッサ「Am5x86」を出荷した。Am5x86はi486DX4とピン互換であり、160MHzで稼動させることでインテルのPentiumプロセッサ100MHzと同等、133MHzで稼動させることで75MHzと同等の性能を発揮するとして、486プラットフォーム用プロセッサとして使用された。1996年には、Pentium(P54C)プロセッサと「ピン互換」の「K5」プロセッサを出荷し、安価な互換製品として認知されていたが、開発の遅れにより収益にはあまり貢献しなかった。
当時のAMDはK5シリーズに続く開発中の次世代プロセッサK6シリーズの性能が向上しない問題に直面していた。そこで、K6と同世代のNx686を開発中だったプロセッサメーカーのNexGenを買収し、同社の開発チームを手に入れるとともに、Nx686を元にSocket 7と互換性を持つよう設計変更した「K6」プロセッサを1997年に出荷した[12]:1。K6はPentiumのSocket 7と互換性がありMMX拡張命令セットも実装した[13]。