アトランティス
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しかし、少なくない知識人がこれに賛同せず、プラトンの記述通り大西洋にあったと考えた[44]

イエズス会アタナシウス・キルヒャーは、南北を逆にした、アトランティスをスペインとアメリカの間にある巨大な島として描いた地図を作り、聖書にある大洪水にアトランティスの滅亡が含まれるというコスマスの説を復活させた。[45]

アトランティスの場所の説は、意識的であれ無意識的であれ、唱える人の自国の利益が配慮されており、例えばスウェーデンが列強に名を連ねた時代のスウェーデン人知識人オラウス・ルドベック(1630-1702)は、アトランティスは文明の源泉であり、ウプサラ地方のスウェーデンだったという説を唱えた。この説は現代人から見れば妄想ともいえる作り話だが、彼の著作『アトランティカ』は広く読まれ、ピエール・ベールアイザック・ニュートンゴットフリート・ライプニッツシャルル・ド・モンテスキューなどの当時の著名な知識人から高く評価された。しかし、スウェーデンが没落すると、この説は忘れられてしまった。[46](参考:オエラ・リンダの書『海底二万里』のアトランティスの遺跡の挿し絵(1869年)

様々なアトランティスの説は、当時においてはそれなりに確かな根拠を持って唱えられ、信じられていたが、19世紀に入ってアトランティスをめぐる科学、歴史、考古学が進むにつれ、欠陥や不正確さが明らかになり、プラトンが書いたアトランティスの実在への疑いは深まっていった[13]

これに逆行するように大衆レベルでのアトランティスへの興味が高まり、1870年フランスの人気作家ジュール・ヴェルヌがSF小説『海底二万里』で海中に没したアトランティスの姿を描き、欧米の大衆文化にアトランティスという概念を広め、大衆におけるアトランティスブームの先駆けとなった[6]

19世紀以降に始まった俗流学問である疑似歴史において、アトランティス大陸は最古のテーマであると考えられており、妄想に捕らわれた人、捏造家、カルト的世界の愛好者、国粋主義者、人種差別主義者によって、膨大な仮説が打ち建てられた[47]

1873年にハインリヒ・シュリーマンが財宝を発掘し伝説のトロイアを発見したと喧伝すると、19世紀後半には植民地競争と相まって超古代探検の熱気が高まり、フランスの探検家ジャン・バティスト・ボリ・ド・サン=ヴァンサンカナリア諸島がアトランティスの残滓で、地中海にある遺跡もアトランティスの痕跡であると主張すると、アトランティス探索は大流行した[48]
ドネリーのアトランティスイグネイシャス・ロヨーラ・ドネリー

イグネイシャス・ロヨーラ・ドネリー(英語版)は、近代の大衆におけるアトランティスブームの火付け役であるとみなされている。その功績には、ヴェルヌによって、アトランティスが教養人の間から大衆へと広められたことが大きく寄与している[6]

貧しいアイルランド系移民の息子だったドネリーは、事業に失敗し、財産を取り戻そうと政界に進出した。共和党のアレクサンダー・ラムジーの腹心となって実業界と結託したラムジーのもと、様々な汚職や不正に手を染めたが、元来人のいい人物だったこともあり、良心に目覚めてラムジーと決別し、1868年に民主党員になり、当時のミネソタとしては非常に大胆なことに、アメリカ先住民とアフリカン・アメリカンに白人と同等の教育機会と処遇を与えるべきと主張し、選挙に落選した。ラムジーと和解して共和党に戻るが、政治家の盛りは過ぎており、1870年代には農場経営を始めるが失敗し、様々な本を読んで『アトランティス―大洪水前の世界』(1882年)を出版した。また偽名で、格差が拡大したアメリカで労働者が反乱を起こす逆ユートピア小説『カエサルの円柱』を著して人気を博し、農民や都市労働者などの社会的弱者のために活動して富裕層や主流の政治家からは煙たがられた。[49]ドネリーの『アトランティス―大洪水前の世界』(1882年)より、アトランティスの帝国の地図。

ドネリーの時代、地質学者たちは、失われたといわれる大陸やなくなったとされる地形は、全て実在していたと信じていた[50]。ドネリーの『アトランティス―大洪水前の世界』(Atlantis: The Antediluvian World)は、1890年に23版に達するほど好調な売り上げだった[50]。歴史学者のロナルド・H. フリッツェは、現在からみると学術的な裏付けに乏しく間違いが多く、当時においても「あり得ること」程度の信憑性だったが、正統な学術書ではないものの筆致には説得力があり、イギリスの首相ウィリアム・グラッドストンもドネリーに称賛の手紙を送っていると述べている[50]。なお、この当時大陸移動説はまだ発表されていない。

ドネリーは、キリスト教の教義とダーウィンの進化論を融和させようと試みたアレキサンダー・ウィンチェル(英語版)の著作(今日では科学の進歩によって信憑性を失い、ほとんど忘れられている)を、権威ある論拠として幾度も引用している[50]。ドネリーは500ページ近くを使って、アトランティス実在の様々な根拠を並べたが、それは科学的調査というより自説を展開する弁護士のような論調である[51]

ドネリーは著作で主張を13にまとめて紹介した[51]。彼の主張は、近代のアトランティス神話のベースとなっており[9]、今日では、その著作は疑似歴史の代表的なものと考えられている[4]


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