アトランティス
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前1世紀のキケロによるラテン語訳が散逸したのと異なり、こちらはアトランティス伝説の部位を含む大部分のテキスト[35]が現存する[36][注 6]

新プラトン主義者のプロクロスは『ティマイオス注解』を残しているが、当時の多くの人々はプラトンの記述が寓話であると考えており、アパメイアのヌメニオス、アメリオス(英語版)、オリゲネス、カッシオス・ロンギノス(英語版)、ポルピュリオス、カルキスのイアンブリコスシュリアノスなどの解釈が紹介されている[37]
中世

中世初期のヨーロッパで読むことのできたプラトンの著作は、『ティマイオス』だけだった[38]。中世の知識人にとって、プラトンのアトランティスの記述は『ティマイオス』の中の一遍の物語に過ぎず、注目されなかった[38]

西ローマ帝国の崩壊で、西ヨーロッパの文化・学芸は衰退した。元エジプト商人で、ネストリウス派の修行僧になったコスマス・インディコプレウステースは、時代の流れに逆行して大地は平面であると主張[39]、また『キリスト教地誌』の中で『ティマイオス』の記述を引用し、アトランティス島の沈没はノアの大洪水のことであり、おそらくティマイオスはカルデア人から世界最初の歴史家であるモーセの書を知りアトランティスの逸話を創作して付け加えたのだと主張した[40]。これ以外に、中世西ヨーロッパの教養ある聖職者で、アトランティスに関心を示した人はほとんどいない[39]

この時代よりプラトンを含む古代ギリシアの思想は反キリスト的とみなされ、アトランティス伝説も12世紀中頃のホノリウスの著作までしばし忘れ去られた。

オータンのホノリウス(英語版)(1080?1154?)は『世界の模写』の中で、プラトンの名前を引用し、アフリカとヨーロッパを合わせたよりも広い巨大な島が、惨劇により凍った海[† 8]の下に沈んだことを述べている[41]。『世界の模写』はラテン語から様々な口語体に訳されており、例えばウィリアム・キャクストンは1489年に 『The Mirrour of the World』という題名で英語訳を出版している。
近現代
南北アメリカ大陸の発見

1492年に、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に遭遇すると、アフリカ・アジア・ヨーロッパというノアの息子たちの末裔が暮らす3大陸からなるユダヤ・キリスト教の世界観が覆され、キリスト教と無縁に見える新大陸とその住人を説明するため、アトランティス、アトランティス人が用いられるようになった。

1553年に中米のアステカを征服したコンキスタドールエルナン・コルテスの従軍神父で、スペインの新大陸征服の歴史の本を書いたフランシスコ・ロペス・デ・ゴマラ(英語版)は、アトランティス人の生き残りが新大陸に逃れ、定住したのではないかという説を提唱した。ゴマラを始め幾人かのスペイン人は、アトランティス人が新大陸に人が住み着くのに重要な役割を果たしたと考え、彼らはアトランティスの実在を信じていた。しかし、こうした説は完全に支持されていたわけではなく、17世紀にはほとんど信憑性はなくなっていた。[42]

このようにスペインではアメリカ先住民=アトランティス人説が唱えられていたが、北ヨーロッパではこの説は全く支持されず、主要な知識人はプラトンのアトランティスは寓話か神話であると考えていた[42]イエズス会の伝道師だったホセ・デ・アコスタ(1539/40-1600)はアトランティス人がアメリカ大陸に移住したという説を完全に否定し、17世紀以降の主な知識人たちも懐疑的で合理的なアコスタの説を支持した。16世紀のイタリアの科学者ジローラモ・フラカストロ(1478-1553)は1530年の叙事詩『梅毒あるいはフランス病』で、アメリカはより広かったアトランティスの名残であるという説を唱え、幾人もの著作家がこれを踏襲したり、同じ説にたどり着いたが、誰もが賛成したわけではない。[43]

フランシス・ベーコンは1610年に小説『ニュー・アトランティス』で、アメリカをアトランティスの名残とする説を紹介して、普及させた。ベンサレムというキリスト教徒が住む文明のある島、ニュー・アトランティスの話は寓話であり、当時の地理の知識でも創作であることは明らかだったが、当時あり得ること、真実ととらえる人もおり、今もそう信じる人はいる。アメリカ=アトランティス説は、その後200年以上、一考の価値のある説として受け継がれ、19世紀前半にはアトランティス学の主流だった。しかし、少なくない知識人がこれに賛同せず、プラトンの記述通り大西洋にあったと考えた[44]

イエズス会アタナシウス・キルヒャーは、南北を逆にした、アトランティスをスペインとアメリカの間にある巨大な島として描いた地図を作り、聖書にある大洪水にアトランティスの滅亡が含まれるというコスマスの説を復活させた。[45]

アトランティスの場所の説は、意識的であれ無意識的であれ、唱える人の自国の利益が配慮されており、例えばスウェーデンが列強に名を連ねた時代のスウェーデン人知識人オラウス・ルドベック(1630-1702)は、アトランティスは文明の源泉であり、ウプサラ地方のスウェーデンだったという説を唱えた。この説は現代人から見れば妄想ともいえる作り話だが、彼の著作『アトランティカ』は広く読まれ、ピエール・ベールアイザック・ニュートンゴットフリート・ライプニッツシャルル・ド・モンテスキューなどの当時の著名な知識人から高く評価された。


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