アトランティス
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両作品はプラトンの師匠である哲学者ソクラテス、プラトンの数学の教師とも伝えられているロクリスの政治家・哲学者ティマイオス、プラトンの曽祖父であるクリティアス[注 3]、そして、シュラクサイの政治家・軍人ヘルモクラテスの4名の対話の形式で執筆されている。

『ティマイオス』では主にティマイオスが宇宙論について語り、『クリティアス』では主にクリティアスが実家に伝わっているアトランティス伝説について語っている。ヘルモクラテスは一連の作品群で語りの役割を果たしていないが、作品中ソクラテスによって第三の語り手と紹介されている[21]。このことから、プラトンの対話集の英訳で知られる英国の古典学者ベンジャミン・ジャウエット(英語版)などにより、 アトランティスとアテナイの間の戦争に関して、軍人ヘルモクラテスに分析させた、『ヘルモクラテス』という作品が構想されていたという説が提唱されている[注 4]ソロンとされる胸像

核となる伝説は、アテナイの政治家ソロンが、エジプトサイスで女神ネイトに仕える神官から伝え聞いた話であるとされる。これを、親族で友人のドロピデに伝え、その息子のクリティアスが引き継ぎ、彼が90歳・同名の孫のクリティアスが10歳の頃、祖父が孫にアパトゥリア祭(英語版)の時に聞せた事として、対話集の中で披露されている[22][注 5]。作中の神官によると、伝説の詳細は手に取ることのできる文書に文字で書かれているとされる[23]

ソロンはこの物語を詩作に利用しようと思って固有名詞を調べたところ、これらの単語は一度エジプトの言葉に翻訳されていることに気付いた。そこでソロンはエジプトで聞いた伝説に登場する固有名詞を全てギリシア語風に再翻訳して文書に書き残し、その文書がクリティアスの実家に伝わったという[24]。ソロンは結局帰国後も国政に忙しかったため、この伝説を詩に纏めることができなかったとされている[25]
『ティマイオス』詳細は「ティマイオス」を参照

『ティマイオス』の冒頭でソクラテスが前日にソクラテスの家で開催した饗宴で語ったという 理想国家論が要約されるが、その内容はプラトンの『国家』とほぼ対応している。そして、そのような理想国家がかつてアテナイに存在し、その敵対国家としてアトランティスの伝説が語られる。

アアフメス2世が即位した後の紀元前570-560年頃、ソロンは賢者としてエジプトのサイスの神殿に招かれた。そこでソロンは、デウカリオン洪水伝説で始まる人類歴史の知識を披露し、古来より人類滅亡の危機は何度も起こっており、ギリシアでは度重なる水害により歴史の記録が何度も失われてしまったが、ナイル河によって守られているエジプトではそれよりも古い記録が完全に残っており、デウカリオン以前にも大洪水が何度も起こったことを指摘する。

その頃、ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)の入り口の手前の外洋であるアトラスの海[† 5]リビアアジアを合わせたよりも広い、アトランティスという1個の巨大な島が存在し、大洋を取り巻く彼方の大陸との往来も、彼方の大陸とアトランティス島との間に存在するその他の島々を介して可能であった。アトランティス島に成立した恐るべき国家は、ヘラクレスの境界内(地中海世界)を侵略し、エジプトよりも西のリビア全域と、テュレニアに至るまでのヨーロッパを支配した。その中でギリシア人の諸都市国家はアテナイを総指揮として団結してアトランティスと戦い、既にアトランティスに支配された地域を開放し、エジプトを含めた諸国をアトランティスの脅威から未然に防いだ。

しかしやがて、大地震と洪水が起こり、一昼夜の内にアテナイ軍は皆大地に飲み込まれアトランティス等も海に没して消えたという。そのため、島が沈んだ場所は浅い泥によって航行が妨げられていると語った[26]。ここでクリティアスは太古のアテナイとアトランティスの物語の簡単な紹介を終え、以降ティマイオスによる宇宙論へ対談の話題が移る。
『クリティアス』

作品の冒頭の記述から、この作品は先の『ティマイオス』の対話と同じ日に行われた続編にあたる対話であることが示唆されている。ティマイオスにおける宇宙論に引き続き、今度はクリティアスがアテナイとアトランティスの物語を披露する。

アトランティス島の大地から生まれた原住民エウエノル(英語版)が、妻レウキッペーとの間にクレイトという娘を儲け、アトランティスの支配権を得た海神ポセイドンがクレイトと結ばれ、5組の双子が生まれた。初代アトランティス王のアトラス、スペインガデイラに面する地域の支配権を与えられたエウメロスことガデイロス、アンペレス、エウアイモン、ムネセウス、アウトクトン、エラシッポス、メストル 、アザエス、ディアプレペスで、彼らが10に分けられたアトランティス帝国各地の王家の先祖となったとされており、王家は神の血筋ということになる。プラトンの記述によるアトランティスの都を起こした図

アクロポリスのあった中央の島は直径5スタディオン(約925m)で、その外側を幅1スタディオン(約185m)の環状海水路が取り囲み、その外側をそれぞれ幅2スタディオン(約370m)の内側の環状島と第2の環状海水路、それぞれ幅3スタディオン(約555m)の外側の環状島と第3の環状海水路が取り囲んでいた。巨大な3つの港が外側の環状海水路に面した外側の陸地に設けられ、内外の環状水路には2つのドックが作られ、三段櫂の軍船が満ちていた。

中央島のアクロポリスには王宮が置かれていた。王宮の中央には王家の始祖10人が生まれた場所とされるクレイトとポセイドン両神を祀る神殿があり、5年または6年毎に10人の王はポセイドンの神殿に集まって会合を開き、牡牛をいけにえとしてポセイドンに捧げる祭事を行った。

内側の3つの島々に王族や神官、軍人などが暮らしていたのに対し、港が設けられた外側の陸地には一般市民の暮らす住宅地があり、港と市街地は世界各地からやって来た船舶と商人で満ち溢れ、昼夜を問わず賑わっていた。

アトランティス島は生活に必要な諸物資のほとんどを産する豊かな島で、オレイカルコスなどの地下鉱物資源、などの野生動物家畜、家畜の餌や木材となる草木、 ハーブなどの香料植物、葡萄穀物野菜果実など、様々な自然の恵みの恩恵を受けていた。


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