アトランタの気候[31]1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均気温 (℃)6.38.412.416.721.225.226.826.323.117.412.27.417.0
降水量 (mm)106.7119.4121.986.494.0101.6134.699.1114.386.4104.199.11,267.6
都市概観ダウンタウン
アトランタの業務・商業はダウンタウン、ミッドタウン、バックヘッドの3か所に集中している。ダウンタウンはアトランタで最も古くから発展した地域で、3か所の業務・商業集積地のうちで最大のものである。ダウンタウンにはCNNなどの企業の本社をはじめ、州政府・市政府の各種機関の施設、さらには市の名所も集中している。ダウンタウンの北約2kmに位置するミッドタウンは1987年にワン・アトランティック・センターが完成してから急速に発展した地域で、アトランタ連邦準備銀行が立地する金融センターである。ダウンタウンの北約15km、市域の北部約1/5を占めるバックヘッドは、もともとは高級住宅地であったが、1980年代から中高層のオフィスビルが建つようになり、職住近接型のオフィス街へと変貌を遂げた。また、バックヘッドは大型のショッピングモールが立地するアトランタきってのショッピング・エリアでもあり、バーやナイトクラブが立ち並ぶ歓楽街でもある。
ダウンタウンの中心となっているファイブ・ポインツはアトランタの中心でもあり、アトランタ・マルタのターミナルともなっている。ファイブ・ポインツの地下には、各種ショップやレストラン、バーが建ち並ぶダウンタウンきってのショッピング・エンタテイメントエリア、アンダーグラウンド・アトランタがある[32]。ジョージア州会議事堂やアトランタ市庁舎をはじめ、州政府・市政府の各種機関の施設はファイブ・ポイントの南に隣接するサウス・セントラル・ビジネス・ディストリクトに集中している。ダウンタウンの北に隣接するホテル・ディストリクトにはリッツ・カールトンやウェスティン、エンバシー・スイーツなどの高級ホテルが軒を連ねている。金融街として成長著しいミッドタウン
ミッドタウンはビジネス街として成長を続けている[33]。しかし、ミッドタウンは単にビジネス街であるのみならず、ヴィクトリア調の家屋が建ち並ぶ閑静な住宅街でもあり、美術館や演技芸術ホールが集中する芸術の中心地でもある。ミッドタウンの北には、ピードモント・パークやアトランタ植物園といった広大な緑地が隣接している。ミッドタウンの西にはジョージア工科大学のキャンパスが広がっている。2006年初めには、アトランタ市長シャーリー・フランクリンは「ミッドタウン・マイル」構想を打ち出した。これはミッドタウンを縦貫するピーチツリー・ストリートの14ブロック間を、ビバリーヒルズのロデオドライブやシカゴのマグニフィセント・マイルのような高級ショッピングストリートにしていくというものである[34][35]。超高層ビルの建設が進むバックヘッドのスカイライン
バックヘッドはアトランタで最も裕福な地域である。加えて、バックヘッドはレノックス・スクエアおよびフィップス・プラザという2つの大型ショッピングモールを有し、高級ショップや5つ星の最高級ホテルも建つハイエンドのショッピングストリートも通る、アトランタ有数のショッピングエリアでもある。歓楽街化が進んで一時期は治安が悪化したものの、バーの営業時間を午前2時半までに短縮させるなど、住環境を取り戻すための政策が功を奏し、治安も落ち着いてきている。それでもなお、バックヘッドには300以上のレストラン、バー、ナイトクラブが建ち並んでいる[36]。バックヘッドの北、アトランタ市境を越えると、裕福な郊外都市であるサンディスプリングス市の市域に入る。
1996年にダウンタウンにセンティニアル・オリンピック・パークが開園するなど、市の努力にもかかわらず、アトランタの人口1人あたりの公園の面積は約36m2(2005年)に過ぎず、同程度の人口密度の都市の中では最下位に近い数値を示している[37]。しかしそんな統計データとは裏腹に、アトランタは「木の街」「森の中の街」というイメージを持たれている[38][39]。アトランタの中心部やバックヘッドのビジネス街からは、郊外に向かって延びる木々の天蓋がスカイラインに含まれることがある。1985年に設立された非営利緑化団体、ツリーズ・アトランタは、アトランタ市内に68,000本以上の日よけの木を植えた[40]。
建築物アトランタで最も高い超高層ビル、バンク・オブ・アメリカ・プラザ
チャールストン、サバンナ、ニューオーリンズなど他の南部諸都市とは異なり、アトランタはオールド・サウスの建築様式を継承せず、1880年代に提唱された「ニュー・サウス」を代表する都市として、中層以上の近代的な建築物を建てていく道を選んだ[41]。アトランタの建築物はアメリカ合衆国有数の建築設計事務所のほか、マイケル・グレイヴス、リチャード・マイヤー、レンゾ・ピアノなど、20世紀を代表する建築家によって設計されてきた。