バックヘッドはアトランタで最も裕福な地域である。加えて、バックヘッドはレノックス・スクエアおよびフィップス・プラザという2つの大型ショッピングモールを有し、高級ショップや5つ星の最高級ホテルも建つハイエンドのショッピングストリートも通る、アトランタ有数のショッピングエリアでもある。歓楽街化が進んで一時期は治安が悪化したものの、バーの営業時間を午前2時半までに短縮させるなど、住環境を取り戻すための政策が功を奏し、治安も落ち着いてきている。それでもなお、バックヘッドには300以上のレストラン、バー、ナイトクラブが建ち並んでいる[36]。バックヘッドの北、アトランタ市境を越えると、裕福な郊外都市であるサンディスプリングス市の市域に入る。
1996年にダウンタウンにセンティニアル・オリンピック・パークが開園するなど、市の努力にもかかわらず、アトランタの人口1人あたりの公園の面積は約36m2(2005年)に過ぎず、同程度の人口密度の都市の中では最下位に近い数値を示している[37]。しかしそんな統計データとは裏腹に、アトランタは「木の街」「森の中の街」というイメージを持たれている[38][39]。アトランタの中心部やバックヘッドのビジネス街からは、郊外に向かって延びる木々の天蓋がスカイラインに含まれることがある。1985年に設立された非営利緑化団体、ツリーズ・アトランタは、アトランタ市内に68,000本以上の日よけの木を植えた[40]。
建築物アトランタで最も高い超高層ビル、バンク・オブ・アメリカ・プラザ
チャールストン、サバンナ、ニューオーリンズなど他の南部諸都市とは異なり、アトランタはオールド・サウスの建築様式を継承せず、1880年代に提唱された「ニュー・サウス」を代表する都市として、中層以上の近代的な建築物を建てていく道を選んだ[41]。アトランタの建築物はアメリカ合衆国有数の建築設計事務所のほか、マイケル・グレイヴス、リチャード・マイヤー、レンゾ・ピアノなど、20世紀を代表する建築家によって設計されてきた。地元アトランタのジョージア工科大学建築学部を卒業し、特にアトリウム・ホテルの設計でその名を知られるジョン・ポートマンは、1967年にハイアット・リージェンシー・アトランタを設計したのをはじめ、ウェスティン・ピーチツリー・プラザ・ホテルやアトランタ・マリオット・マーキスの設計を手がけた。また、これらのホテルやサン・トラスト・プラザの建つ複合施設ピーチツリー・センターも、ポートマンの設計によるものである。
アトランタで最も高い超高層ビルはバンク・オブ・アメリカ・プラザである。ミッドタウンに建つ高さ311.8m、55階建てのこのビルはアトランタのみならず、ニューヨークとシカゴ以外のアメリカ合衆国の都市に建つビルとしては最も高い[42]。このビルは1991-92年にかけて建設され、わずか14か月の短期間で完成した[43]。完成当初はネイションズバンクの所有で、ネイションズバンク・ビルと呼ばれていたが、1998年にネイションズ・バンクとバンクアメリカが合併し、バンク・オブ・アメリカとなった[44] のち、現称のバンク・オブ・アメリカ・プラザに改名された。
政治ジョージア州会議事堂
州都であるアトランタには、ジョージア州政府の機関のほとんどがその施設を置いている。ダウンタウンのサウス・セントラル・ビジネス・ディストリクトに立地するジョージア州会議事堂は、ジョージア州知事室とジョージア州議会の議場を有する、ジョージア州の政治の中枢となる施設である。1889年に建てられた、ルネサンス建築と新古典主義建築の様式が合わさったこの庁舎は、国家歴史登録財および国定歴史建造物に指定されている。ジョージア州会議事堂の近くにはアトランタ市庁舎が建っている。このゴシック復興様式の市庁舎も国家歴史登録財に指定されている。ジョージア州知事官邸はバックヘッドの高級住宅街の中に建っている。
アトランタは市長制を採っている。アトランタ市長の任期は4年である。アトランタ市議会は15名の議員からなる。市は12の選挙区に分けられ、各選挙区の首位得票者(全地区合計で12名)、およびワイルドカードで3名が選出される。市長は市議会の決定に対して拒否権を発動できるが、市議会で2/3以上の票が得られた場合には、市議会は市長の拒否権を覆すことができる。アトランタ市庁舎
1973年にアトランタ市史上初の黒人市長としてメイナード・ジャクソンが就任して以来、30年以上にわたってアフリカ系が市長の任に就いている[45]。2001年には南部の主要都市では初めての黒人女性市長となるシャーリー・クラーク・フランクリンが市長に就任した[46]。