2013年にロサンゼルスに移住[26]。12月19日、バッキンガム宮殿で行われたMBE授与式で、チャールズ3世(当時皇太子)からMBE勲章(大英帝国勲章)を受章、英国音楽業界への貢献を認められた[27]。
2015年11月にリリースしたサードアルバム『25』は、アメリカでは発売初週だけで338万枚セールスを達成。アメリカとイギリスで“2015年に最も売れたアルバム”として記録された。アルバムの収録曲「Hello」のミュージックビデオは公開88日目にはYouTube再生回数10億回を突破。アルバムのテーマは“母性と後悔”。
2016年2月28日、『SPACE SHOWER MUSIC AWARDS』で「BEST INTERNATIONAL ARTIST(もっとも優れた海外アーティストに授与される賞)」を受賞[28]。
2017年の第59回グラミー賞では、主要3部門(最優秀アルバム賞、最優秀楽曲賞、最優秀レコード賞)含む計5部門を受賞し、史上初めて“主要4部門のうち3部門を2度制覇したアーティスト”となった。 しかし、ステージ上では涙ながらに「この賞を受け取るのは不可能。今年の最優秀アルバム賞は絶対にビヨンセの『レモネード』が獲るべきだった」と語っている[29]。
2021年10月15日、6年ぶりの新曲「Easy On Me」を発表。11月19日に4枚目のアルバムとなる『30』をリリースすることを発表。「Easy On Me」ミュージックビデオは『25』収録の「Hello」のミュージックビデオに続きとグザヴィエ・ドランが監督を務めた。
「Easy On Me」はリリース当日のSpotifyやAmazon Musicでの1日の楽曲再生ストリーミング数の記録を更新[30]。
アルバム『30』をリリースするにあたり、「約3年前にこのアルバムを書き始めた時は、自分が目指していたような場所から程遠く、むしろ正反対と言えるような場所にいた。自分をわざと内面的な混乱へと陥らせていた。人に知られたくないような自分の真実を学び、自分の層をどんどん剥がし、そして新たな層を作って自分を包んだ。自分の人生を牽引する本当に役立つ、健全な精神を見出し、自分のフィーリングをようやく取り戻すことができた。そして人生においてこんなにピースフルに感じたことがないと思える場所に辿り着いた。だからとうとうこのアルバムを発売する心の準備ができた。私は、労を惜しまずに自分の家と心を再構築した。このアルバムではそれが語られている。我が家とは、心がある場所だから」と自身のSNSアカウントから発信している。 本名アデル・ローリー・ブルー・アドキンス(Adele Laurie Blue Adkins MBE)[22]。ロンドンのトッテナムで生まれた。母親はアデルを産んだ時は10代であり、父親はアデルが2歳の時に家族のもとを去った。その後、母親はシングルマザーとしてアデルを育てた[31]。アデルは、父のことを許したことはないと語っていた[32][33][34]。因みに実父は2021年5月に癌のために他界している[35]。 身長175cm[36]。北ロンドンのサッカークラブ「トッテナム・ホットスパーFC」のサポーターであるという[37]。好きなアーティストに、エタ・ジェイムス、ジル・スコット、ロバータ・フラックなどを挙げている。「エタ・ジェイムスの曲「Fool That I Am」を聴いて、初めてシンガーになりたいと思った」と『ザ・サン』紙のインタビューで語っている。また、その曲を収録しているCDは「同じ髪型にしてもらおうとヘア・ドレッサーに見せたかったってだけ」でバーゲンの箱の中から買った、とも語っている。 2012年6月29日、恋人のサイモン・コネッキとの間に授かった第一子の妊娠を発表[38][39]、10月に長男・アンジェロを出産した[40]。2017年3月5日、オーストラリア・ブリスベンでのコンサートで、観客に結婚していることを明らかにした[41]。2019年4月19日、代理人がAP通信に対し「アデルはパートナーと破局した。彼らは愛情を持って息子を一緒に育てることに専念している」との声明を発表した[42]。
私生活
ディスコグラフィ詳細は「アデルの作品」を参照
『19』 - 19
『21』 - 21(2011年)
『25』 - 25(2015年)
『30』 - 30(2021年)
出典[脚注の使い方]^ a b Jeffries, David. Adele Biography, Songs & Albums - オールミュージック. 2021年9月29日閲覧。
^ “Pop singer Adele parts with husband”. Reuters (2019年4月20日). 2021年9月29日閲覧。