アテネ
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芸術や学問、哲学の中心で、プラトンが創建したアカデメイアアリストテレスリュケイオン[2][3] があり、西洋文明の揺籃や民主主義の発祥地として広く言及されており[4][5]、その大部分は紀元前4-5世紀の文化的、政治的な功績により後の世紀にヨーロッパに大きな影響を与えたことが知られている[6]。今日の現代的なアテネは世界都市としてギリシャの経済、金融、産業、政治、文化生活の中心である。2008年にアテネは世界で32番目に富める都市に位置し[7]UBSの調査では25番目に物価が高い都市[8] に位置している。

アテネ市の人口は655,780人[9](2004年は796,442人)[10]、市域面積は39 km2 (15 sq mi)[11] である。アテネの都市的地域(大アテネや大ピラエウス)は市域を超えて広がっており、人口は2011年現在3,074,160人に達し[12]、都市的地域の面積は412 km2 (159 sq mi)[11] である。ユーロスタットによれば大都市圏地域(Larger Urban Zones,LUZ) (en) の人口は欧州連合域内では7番目に大きい。

古典ギリシアの文化的遺産は今でもはっきりとしており、多くの古代遺跡や芸術作品が象徴している。もっとも有名で代表的なものにはパルテノン神殿があり初期の西洋文明の鍵となるランドマークと見なされる場合もある。アテネにはローマ帝国支配下のギリシャ東ローマ帝国の遺跡もあり同様に少数のオスマン帝国の遺跡も残されているなど、何世紀にもわたる長い歴史を投影するモニュメントとなっている。アテネには2つのユネスコの世界遺産がありアテナイのアクロポリスと中世のダフニ修道院がそうである。現代のランドマークはギリシアが1833年に独立国となりアテネが首都になった以降に建設された国会議事堂や「三部作」(Trilogy)と呼ばれるギリシア国立図書館(英語版)、アテネ大学、アテネアカデミー(英語版)が含まれる。アテネは、最初の近代オリンピックであるアテネオリンピックと、その108年後に開催されたアテネオリンピック (2004年)の2度のオリンピックの舞台である[13]。アテネにはアテネ国立考古学博物館があり、世界最大の古代ギリシアの遺品の収蔵を特徴とし新しい2008年に完成したアクロポリス博物館もある。ギリシャ正教会の首長であるアテネ大主教が所在し、精神的な中心地でもある(ギリシャ正教会は正教会に属し、クレタ島を除くギリシャ一国を管轄する)。正教会の定めるアテネの守護聖人は、ディオニシオス・オ・アレオパギティス、イェロテオス、フィロセイ。1985年には欧州文化首都に選ばれた。
名称アテネの守護神であるアテナ

古代ギリシア語では、アテネ市は ?θ?ναι アテーナイ(Ath?nai、[a.t????.nai?])と呼ばれていた。このアテーナイは複数形であり、単数形の ?θ?νη アテーネー(Ath?n?)はホメロスの詩文など古代ギリシア語以前(en)にみることができるが[14]、のちに Θ?βαι テーバイや Μυκ?ναι ミュケーナイ同様複数形に変わった。アテネの語源はおそらくギリシア語でも印欧語系でさえもなく、この都市と常に結びついている女神アテナの語源がそうであるように[注釈 1]アッティカ地方にギリシア語が入り込む以前に存在した言語(en)に遡ると考えられている[15]。中世にはこの都市の名前はふたたび単数形の ?θ?να となり、以来一貫してこの名が用いられてきたが、書き言葉では古体が尊ばれたため、1970年代にカサレヴサ(文語)の使用が停止されるまで同市の公式名称は ?θ?ναι アシネ([a?θine])であった。カサレヴサ廃止以降は ?θ?να アシナとなり現在に至る。

また、かつて19世紀には上記とは異なる語源も唱えられた。ドイツの古典学者 Lobeck は「花」を意味する ?θο? (athos)ないし ?νθο? (anthos)をアテネの語源として提唱し、アテネの名を「花ざかりの都」と解したほか、同じくドイツの文献学者 Doderlein は動詞 θ?ω (tha?)「吸う」の語幹 θη- (th?-)を語源と考え、肥沃な土壌から滋養を汲み取ることに関連付けている[16]

アテネ市がアテネと呼ばれるようになった経緯を語る起源神話は古代のアテネ市民に広く知られており、パルテノン神殿の西面のペディメント彫刻のモチーフともなっている。智慧の女神アテナと海神ポセイドンはさまざまな諍いや争いを重ねるが、その1つがこの都市の守護神の座をめぐるものであった。人々を従わせようとポセイドンは三叉の槍(海軍力の象徴)で地を突き海水を湧き出させたが、アテナがオリーヴの木(平和と繁栄の象徴)を生い立たせると、国王ケクロプス以下の住民はオリーヴの木を択び、アテナの名を都市の名として押し戴いた。

アテネ市はギリシア語で τ? κλειν?ν ?στυ 「栄光の都」と呼ばれることがあるほか、単に η πρωτε?ουσα 「首都」とも呼ばれる。文学的表現としては、古代ギリシアの詩人ピンダロスが ?οστ?φανοι ?θ?ναι と呼んで以来、「紫冠の都」(en:City of the Violet Crown)と呼び習わされてきた。
歴史詳細は「アテネの歴史(英語版)」および「アテナイ」を参照 アテネのアクロポリス古代から近代までの変遷が収められた風景。


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