アテネ
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

アテネ市を対象とするものとしては、アテネ近郊の経済特区設定[25] や、アテネメトロの路線拡張などのインフラ整備[26] が経済対策として検討されている。 アクロポリスに建つパルテノン神殿
略年表

前14世紀初頭 - このころにはミケーネ文明の主要都市となっていた。

前12世紀 - ミケーネ文明を含むエーゲ文明が滅亡。アテネも経済的に衰退する。

前9世紀 - 通商により栄える。

前6世紀前半 - 経済格差の拡大など従来の社会システムの行き詰まりからソロンによる改革が行われる。

前561年 - 貧民の支持を得て台頭したペイシストラトス僭主として君臨する。

前510年 - ペイシストラトスの子で僭主のヒッピアスが追放される。

前508年 - クレイステネスにより民主政が導入される。

前498年 - イオニアの諸都市とともにペルシアの支配に抵抗するが敗れる(イオニアの反乱)。

前490年 - マラトンにおいてアテネを主力とするギリシア重装歩兵がペルシアを敗る(マラトンの戦い)。

前480年 - サラミス島近海においてテミストクレス率いるギリシア艦隊がペルシア艦隊を撃破(サラミスの海戦)。

前479年 - プラタイアにおいてギリシアがペルシアに圧勝(プラタイアの戦い)。ペルシア勢力がギリシアから一掃される。

前477年 - ペルシア再侵攻に備えて、アテネを盟主とする軍事同盟(デロス同盟)が結ばれる。

前5世紀半ば - このころ指導者ペリクレスのもとで全盛期を迎えるも、デロス同盟の私物化によりギリシア世界の緊張が高まる。

前431年 - スパルタを盟主とするペロポネソス同盟がアテネの覇権を危ぶんで宣戦、ペロポネソス戦争が勃発する。

前5世紀前半 - このころからいわゆる衆愚政治に陥る。

前404年 - アテネの降伏でペロポネソス戦争が終結。アテネはデロス同盟の盟主としての地位を失う。

前338年 - 北方に興ったマケドニア王国にカイロネイアで敗れる(カイロネイアの戦い)。戦後、マケドニアを盟主とするコリントス同盟に加わることとなり独立を失う。

前168年 - ローマがマケドニア王国を滅ぼす。以後ギリシアはローマの支配に服する。

紀元後からは文化都市としても衰退をはじめる。

395年 - ローマ帝国の東西分裂。なお、アテネは東ローマ帝国に属する。

6世紀後半 - スラヴ人アヴァール人の侵略を受ける。

529年 - 皇帝ユスティニアヌス1世の異端排斥政策の一環としてアカデメイアが閉鎖される。

十字軍時代にはイタリアとの交易により繁栄する。

1205年 - 十字軍の騎士によりアテネ公国が建国される。

1453年 - 東ローマ帝国がオスマン帝国により滅ぼされる。

1456年 - アテネ公国もオスマン帝国により滅ぼされ、アテネはオスマン帝国に編入される。

1832年 - ギリシア独立戦争を経て、ギリシャ王国がオスマン帝国から独立する。

1834年 - ギリシャ王国の首都にアテネが選定される。

1896年 - 近代オリンピック第1回大会が開かれる。

2004年 - 夏季オリンピック第28回大会が開催される。

地理
地勢

アテネはアッティカ中央部の平野に広がり、アッティカ盆地(Λεκανοπ?διο Αττικ??)と呼ばれる。平野の周辺部は4つの山に囲まれた範囲で、西側はエガレオ山(Αιγ?λεω)、北側はパルニサ山(英語版)(Π?ρνηθα)、北東側にはペンテリ山(Πεντ?λη)、東側にはイミトス山(Υμηττ??)がそびえる[27]。エガレオ山を超えてスリアシアン平野(英語版)が広がり、西へ中央部の平野の広がりを形成している。パルニサ山は4つの山の中では一番高く標高1,413 m (4,636 ft)で[28] 、国立公園に指定されている。アテネは周辺部の丘陵地に築かれている。リカヴィトスの丘(Λυκαβηττ??)は市内では一番高い丘の一つで、アッティカ平野を一望することが出来る。アテネの地形は周辺部の山々の影響により、世界でも最も複雑な地形で、逆転層現象が起こりそれと並びギリシャ政府の産業や人口の統制政策の失敗により大気汚染の問題にアテネは現在直面している[19][29]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:222 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef