アテナイ
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ペリクレスは自ら積極的にアゴラで売買を行ない、アテナイは商業的なアゴラを推進した[2]

台頭が遅かったため、隷属市の急拡大とは対照的に植民市の入植競争では他の都市に乗り遅れた。遅ればせながら植民市も創設して「クレールーキア(klerouchia)」と呼ばれるアテナイ市民権の保証と引き換えに従属義務を負う契約を結んだ都市の建設に乗り出した。
ペロポネソス戦争とアテナイ経済圏の崩壊

陸軍大国スパルタと裕福なコリントスを中心とするペロポネソス同盟勢を敵に回したアテナイの指導者ペリクレスは籠城による長期戦を計画する。だが、籠城による人口過密からくる諸問題(都市の許容量を超えた人口の爆発的増加と治安の悪化、そして何より衛生環境の悪化による疫病の蔓延)が襲い始めた。ペリクレスは、アテナイの支配地域の農地は肥沃ではなく、食料自給率も低いので敵に農地を荒らされても食料は輸入で補えばいいという考えであったが、商工業を卑しむ傾向があったアテナイ市民には農園経営者が多く、またスパルタ軍のアテナイ領の略奪により、ペリクレスの生前より籠城の長期化による農地の荒廃に不満を抱くものが続出した。疫病に倒れたペリクレスの死後は好戦的デマゴーグが幅を利かせ、アテナイは積極策を採りペロポネソス同盟軍や離反した隷属都市との一進一退を繰り返す事になる。やがて、徒労に終わった1度目のシケリア遠征やその他多数の各地への侵略と同じ様に軽く考えて開始した2度目のシケリア遠征に国力を注ぎ込むが遠征軍は壊滅、アテナイはその国力と威信を大いに減退させた。その隙を突いたスパルタの海軍力強化、穀物の主要な輸入ルート上にあるデケレイアの占領、さらにはアテナイの苛烈な政策(攻略した敵対都市の成人男子絶滅及び身分を問わない女子供の全奴隷化による都市の完全な解体や捕虜の殺害)によるラウレイオン・マロネイア両銀山における奴隷鉱夫の反乱逃亡とデロス同盟加盟国の離反によって、アテナイはその経済を支えてきた銀の生産・船舶・同盟年賦金といった全ての強みを失った。そして、紀元前405年アイゴスポタモイの海戦でアテナイ艦隊を壊滅させてその制海権を奪い、黒海からアテナイへの穀物輸送ルートを押さえたスパルタ・コリントスなどのペロポネソス同盟海軍はアテナイの陸海からの封鎖に成功して、アテナイは飢餓状態に陥った。これによって、アテナイは降伏へと追い込まれた。
アテナイの社会と文化

アテナイは、市民、外国人であるメトイコイ奴隷の3つの身分に分かれていた。最盛期のアテナイは、3万人未満の市民(青年の男性。家族等を含めると約8万人余り)、奴隷6万人余り、商業や学芸などに従事するメトイコイ3000-4000人が居住した。上流階層の男性は7歳になると、私学に通って読み書き、計算、体育、音楽を修得した。成人すれば戦争や民会などに参加し、平時にはアゴラ(αγορ?)に集って体育に汗を流した。女性の地位は低く、家庭内の仕事や家内産業に従事し15歳くらいで親が決めた30歳ぐらいの男性と結婚した[3]

奴隷は例外的に解放されることもあったが、農作業、商売、鉱夫、職人、家内の雑用、公文書の保管、市中警備などあらゆる部門で非常に酷使され、過酷かつ不健康な状態に置かれた。4-5人家族であれば、男性の奴隷1名を公共工事に従事させて得る報酬で生活ができた。解放奴隷はメトイコイに属した。

ギリシア各地から学者、芸術家が集まり文化の花が開き、ギリシア哲学ソクラテスプラトンアリストテレス、劇作家のアイスキュロスソポクレスエウリピデス(→ギリシャ悲劇)、アリストパネス(→ギリシャ喜劇)、彫刻家のペイディアス、歴史家のトゥキディデス、著述家のクセノポンらが輩出した。皮肉なことに彼らの多くがアテナイの没落を目にして役職の直接選挙制に否定的な思想を唱えた。
神話の中のアテナイ

ギリシア神話では、アテナイはオリュンポス十二神の水神ポセイドンと女神アテナが、その当時まだ名前の無かったアテナイの領有権をめぐって争い、それにアテナが勝利したため、女神の名にちなんでアテナイと名づけられたとされている。その争いとは、アテナイ市民により有益なものを作り出したほうを勝者とするものであった。ポセイドンは馬を作り出して乗馬の方法を教え塩水の井戸を湧き出させた。他方アテナはオリーブの木を生み出し、これを見た神々がアテナの方が住民に有益であり、アッティカの守護者として相応しいとした。これに怒ったポセイドンは津波による洪水を起こしたという[4][5]
脚注[脚注の使い方]^ “ギリシャを偏愛したローマ皇帝、ハドリアヌス”. ナショナルジオグラフィック日本版サイト (2020年12月13日). 2021年2月5日閲覧。
^ 『人間の経済2』 第12章、第13章
^ 桜井万里子『古代ギリシアの女たち』中公文庫、2010年
^ “ポセイドンとは - コトバンク”. 2022年6月14日閲覧。
^ 『ポセイドンは白馬を出現させ、三叉鉾で地を打って塩水の泉を湧き出させた。いっぽうアテナはこの地方のもっとも小高い丘(アクロポリス)にオリーブの木を生じさせた。住民はアテナの贈り物を選び、その名にちなんで都市をアテナイと名付けた。』と書かれている。 「オリーブの歴史」ファブリーツィア・ランツァ著、原書房、2016/4/27、P.28

参考文献

カール・ポランニー 著、玉野井芳郎・中野忠 訳『人間の経済2 交易・貨幣および市場の出現』岩波書店〈岩波モダンクラシックス〉、2005年。 

関連項目

カリストラトス

イフィクラテース

プニュクス

ケラメイコス

典拠管理データベース
国立図書館

チェコ

地理

プレアデス


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