アップダウンクイズ
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^ ただし、1970年3月から9月に開催された日本万国博覧会に伴う関連番組制作の都合上、同年5月3日から10月18日放送分は東京都港区六本木にあった日本教育テレビ(NET)本社(後のテレビ朝日六本木センター)スタジオでの収録となっている。
^ 「ロート製薬提供、(番組名)」のオープニングコールは、後継番組『クイズ!!ひらめきパスワード』でロート製薬が一社提供を取り止める1991年9月下旬まで使われた。
^ 他にもロート製薬単独提供であるTBS「クイズダービー」等でも言っていた。
^ しかし1986年秋の番組改編でTBS系のゴールデン・プライムタイムに放送されるすべての番組にクロスプログラムが導入されると、「この番組は、ロート製薬の提供でお送りしました」→チャイム音入りエンドカード→次枠番組の案内から成る3部構成に変更された。
^ このスタッフロールは後番組の「クイズ!!ひらめきパスワード」でも同じ形式だった。
^ ペア大会の時は、中期までは2人一緒にゴンドラに乗っていたが、後に1名が前半・後半(シルエットクイズ以降)に分けて乗る様になった。
^ ただし、一時期あった解答者全員参加の「三択クイズ」(サービスクイズとも言っていた)については誤答でもゴンドラ降下のペナルティーはなかった。
^ トントンの音が10回(小池時代末期は6回)鳴った後に不正解のブザーが鳴る。西郷時代は電子音で8つの音階が上がり、電子音でブザーが鳴る(不正解時のものとは別)。
^ 一部のVTR問題では誤答した場合でも問題VTRの続きがあるため、誤答した者を含め、全員に解答権がある。
^ 勝ち抜きの解答者が2週目、3週目の時は解答者の胸に花が付けられた。
^ 新井たかし『クイズで儲けろ』の表紙カバーに当時のゴンドラ写真あり。
^毎日放送の40年』174?175ページに記載。当時のゴンドラは150kgが限度だった。
^ 1976年1月以降は、司会席や観客席上部に掲げられるようになった。
^ 正面部分のみ。側面はブロンズのような色であった。
^ 両者の相違点はゴンドラが上下に動く際の音が、小池時代のワイヤーロープ式は動く時に“ゴン”と強く響く音に対し、西郷時代のチェーン式は“カチャ”っと弱い音が動く時と動きが止まる時に発するのが特徴
^ 事故直後の放送分に関しては、事故2日前の8月10日までに収録済のため収録日のテロップをつけた上で該当部分をカットした(エンディングで西郷・シルエットゲスト・10問正解者が並ぶ場面では、客室乗務員が映ったり手に持つ航空バッグが編集されずそのまま映された)。事故後に収録された分では該当部分の割愛に加えて、タラップに相当する階段の側面に描かれていたJALの鶴丸ロゴも削除された。
^ 後に1967年8月6日の「200回記念・夏休み中学生特集」ではシルエットゲストを務めている。
^ 最終回の問題で「次のうち、有名人で初めて10問正解したのは誰でしょう?野球の王貞治・映画監督の大島渚・作家の野坂昭如」と出題されていた。
^ 同号「特集・あなたはクイズ人間か?」5ページ参照
^ 過去にも出場していたが、このときは9問目で誤答、0に転落した。
^ 1982年8月22日の「夏休み小学生特集」ではシルエットゲストとして出演。
^ 1978年4月30日にはシルエットゲストとして出演歴あり。
^ 1981年12月27日放送の「年忘れ漫才特集」ではシルエットゲストとして出演。
^ この回には後にラジオNIKKEIに入社する小林雅巳も出場している
^ 1972年は閏年ゆえに大晦日が日曜となったため、大晦日に「東西お笑い大会」を放送。1978年は1967年と同じく元日と大晦日が日曜となったが、TBSは1969年から2005年まで『日本レコード大賞』本戦中継を放送したため、この年の大晦日放送はなかった(『ひつじ年大会』はその差し替え版)。
^ 製薬会社提供番組は、業界の紳士協定でレギュラー番組は30分未満と決められているが、特別番組は例外であった。
^ 2日の18:00 - 20:48に当時の恒例正月特番『超豪華!番組対抗かくし芸』(日本テレビの正月特番とは別物)が編成されたため。なお、同番組には、当番組の小池アナが審査員として参加していた。
^ 1日の19:00 - 20:54に恒例特番『'84新春レコード8社対抗オールスター大運動会』が編成されたため。
^ この時はスタッフがはしごによじ登ってザルに入れていた紙吹雪を撒いて行っていた。
^ その際、この時に限って『アップダウンクイズ』の看板のタイトルロゴが丸みを帯びていたが、結局は元のロゴが継続使用された。『毎日放送の40年』にもこのシーンの写真が掲載されている。
^ 『ワイドYOU』は2チームに分かれており、じゅんがAチーム代表、坂田がBチーム代表だった。
^ 第1ヒントで忌野がボタンを押したため、小池に心配された。
^ たかじん曰く、「セットの電飾は全部使えなくなっていたから、スタッフが全部徹夜でひとつひとつ交換した」とのこと。
^ オープニングではシルエットクイズ開始時、シルエットゲスト登場時は司会者登場のBGMが使われた。
^ のむらが主に連載を持っていた小学館コロコロコミック」では他に、『あほ拳ジャッキー』(ぜんきよし作)にもアップダウンクイズのパロディが登場したことがある(解答者は「ジャッキーちゃん」(同作の主人公)と「フェイフェイ老人」で、透明になったもののスイカの種まみれになった「ワルタン星人」がシルエットクイズになるコマだった)。
^ 本番組放送中にNETを退社した。在職中は腸捻転時代だったため、本番組にも「クイズ番組司会者特集」に解答者で出場経験あり。
^ 腸捻転時代は朝日放送で放送しており、初期の頃は一部を朝日放送が制作した。
^ 2007年10月10日にソニーミュージックから発売されたコンピレーションアルバム「日曜夜のテレビは哀愁」の6曲目に収録されている。
^ CD「ブロードキャスト・トラックス 毎日放送編」ではこのオープニング(小池の番組冒頭のあいさつ部分を含む )とハワイ行き決定のBGMが収録されている。
^ #17アップダウン!ご迷惑をおかけしました! -幾三・豊子昭和のTV談義
^ 1983年から最終回まで担当。
^ 金子は後継番組『クイズ!!ひらめきパスワード』の構成、柳川は同番組のプロデューサーを1989年頃まで担当。
^ 1973年4月1日時点では、変則クロスネット解消による遅れ調整の関係で『仮面ライダーV3』(毎日放送制作・1日遅れ)を放送していた(中日新聞、1973年4月1日、テレビ・ラジオ欄)。
^ a b c 九州朝日放送では1964年10月にテレビ西日本が日本テレビ系列からフジテレビ系列にネットチェンジしたのに伴い、それまで関門2県のネット局だった山口放送(関門局)の番組が本局でもある徳山局(現・周南局)と同一の編成になったため当番組のネットを開始。
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