アッシジのフランチェスコ
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帰宅してそれを知った父親は怒り、家業の商売に背を向けて自分の道を進もうとする息子との間に確執を生むことになる。最後には、アッシジ司教の前で父子は対決するのだが、フランチェスコは服を脱いで裸となり、「全てをお返しします」として衣服を父に差し出し、フランチェスコにとっての父は「天の父」だけだとして親子の縁を切った[28]
初期の活動

家を出たフランチェスコは、施療施設に住んでハンセン氏病患者への奉仕を行った[29]。また、森を放浪したともいわれているし[30]、サン・ダミアノ教会に住んだともいわれているが[31]、最終的には修復を行うことになるポルツィウンクラの小聖堂近くに住んだ[32]。このポルツィウンクラの地は、フランチェスコと後のフランシスコ会にとって重要な地となる[33]

サン・ダミアノから始まった聖堂の修復は、(おそらく)サン・ピエトロ教会、ポルツィウンクラの小聖堂と続き[34]、その資材となる石や漆喰、灯明の油などの喜捨を、歌やフランス語で呼び掛けた[35]。これに限らず彼は世俗の時代に慣れ親しんだ吟遊詩のフランス語(プロバンス語)を歌うことが多かった[36]

日々の食事は、様々な肉体労働もしくは托鉢で得た[37]。金銭は受け取らず、初期のフランシスコ会でも同志たちはそれを忌み避け、手を触れることさえ嫌がった[38]。こうした活動のスタイルから、フランシスコ会は同時期のドミニコ会と共に「托鉢修道会」と呼ばれるようになる[39]

こうした活動の指針を与えたのは福音書に書かれた、キリストや弟子たちの行動である。ある日、ポルツィウンクラの小聖堂で行われたミサの中で福音書が朗読され、イエスが弟子たちを各地に派遣するときの言葉にフランチェスコは感動した。その中でイエスは「行って、そこかしこで「神の国は近づいた」と伝えなさい。あなた方がただで受けとったものは、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も入れて行ってはならない。旅のための袋も、替えの衣も、履物も杖も、もっていってはならない」と弟子たちに命じており、それに従ってフランチェスコは直ちに履物を脱いで裸足となり、皮のベルトを捨てて縄を腰に巻いた[40]

福音書でイエスが命じている全てをそのまま実行し、イエスの生活を完全に模倣することがフランチェスコの生活の全てとなっていた。「裸のキリストに裸で従った」のである[41]

フランチェスコが宣教を始めたのは1208年もしくは1209年のことである[42]。彼は街頭や広場に立ち、聖職者が用いるラテン語ではなく、日常語のイタリア語で聖書の教え、つまり悔い改めて神の道に生きよと説いた[43]。フランチェスコは歌や音楽も利用して、巧みな説話で人々の心を捉えたとされている[44]。そうした芸能的ともいえる活動から、フランチェスコは「神の道化師」と呼ばれている[45]
仲間と教団の成立「肩でラテラノ大聖堂を支えるフランチェスコ」(画:ジョット、1305年頃) インノケンティウス3世が夢にみたみすぼらしい修道士は聖フランチェスコであった。

富裕な商人の子弟であったフランチェスコのそうした活動は、奇行と捉えられ、市民の好奇と侮蔑の対象となった[46]

しかし、その態度に共鳴してフランチェスコと行動を共にする市民が現れ始める。アッシジの貴族で大変裕福だったとされるベルナルドは、出家の決心を固めると、自分の資産を処分してそれを貧しい人に分け与えた上でフランチェスコと共に生活を始めた[47]。この後も、所有物をすべて放棄して、無一物となった人間をフランチェスコは仲間として迎えていく[48]。初期の仲間には、この他にエジディオ[49]、法律家で聖堂参事会員であったピエトロ・カッターニ[50]、司祭のシルベストロ[51]の名前などが知られている。

彼らはフランチェスコも含めてお互いを兄弟と呼び合い、二人一組となってイタリア各地に宣教の旅に出て、行く先々で新たな仲間を得た[52]。彼らは問われれば「アッシジの悔悛者」と名乗っていたが[53]、やがて彼らは自らの集団を「小さき兄弟団(Ordo Fratrum Minorum)」と名乗るようになっていく[54]。これは現在でもフランシスコ会の正式名称である。

1210年、仲間の数が12人になっていた小さき兄弟団はローマに向かい、教皇インノケンティウス3世に謁見し、活動の許可を求めた[55]。これにはアッシジ司教グイドの斡旋があったものとされている[56]。フランチェスコたちの活動は問題を孕んでいた。


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