『魔術師のおい』では、アスランによるナルニアの創造、アスランによるナルニアの最初の王と女王の戴冠、動物の一部にしゃべる力を授ける物語が語られる。アスランは2人の主要登場人物、ディゴリー・カーク(英語版)とポリー・プラマー(英語版)に、邪悪な魔女ジェイディス(後に白い魔女となる)がナルニア人に大いなる脅威を与えるだろうと伝える。アスランはディゴリーとポリーに、ナルニアに植えられた時にジェイディスからナルニアを守護することになる魔法のリンゴを探す冒険の旅を課す。
『さいごの戦い』はナルニア世界の終焉の物語である。アスランは物語の終盤まで登場しない。ユースチス・スクラブとジル・ポールは命懸けで戦うチリアン王らを助けるためにナルニアへ運ばれる。ナルニア人は攻撃者によって楽園と通じるステーブルドア(英語版)を通ることを余儀なくされる。アスランはピーター王やその他のナルニアの友と友にそこにいる。そして、ナルニアは滅ぶ。アスランはピーター王にナルニアへの扉を閉めるよう命じ、彼らをアスランの国(まことのナルニア)へと導く。ディゴリー、ポリー、ピーター、エドマンド、ルーシィ、ユースチス、ジルは彼らが(彼らの世界では)死んでおり、アスランの国へと移されたことを知る。
影響
キリスト教徒の解釈詳細は「ナルニア国ものがたりにおける宗教」を参照
アスランはオリジナルキャラクターと読むことができるが、キリストとの類似点がある[7]。作者によれば、アスランはキリストの寓話的肖像ではなく、むしろキリスト自身の想像上の化身である。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}アスランが実体のない神を現わしていたとすれば、アスランは寓話的人物だろう。しかし現実には、アスランは「もしナルニアのような世界が本当に存在し、キリストがその世界において我々の世界で実際に行ったように受肉し、死に、復活することを選んだとしたら、(キリストは)どのようにになるのだろうか?」という疑問への想像上の答えを与える発明である。これは全くアレゴリーではない[8]。
この解釈はJ・R・R・トールキンの1947年のエッセイ『妖精物語について(英語版)』において詳しく述べられている「準創造(sub-creation)」の概念と関連している。これは、ルイスとトールキンがインクリングズで行なった議論を反映している。
最後の手紙の一編において、ルイスは以下のように書いている:「ナルニアはもの言う獣の世界であるため、私は彼(キリスト)がここでは人間になったのだから、そこではもの言う獣になるだろうと考えた。私は彼(キリスト)がそこではライオンになると描いた。なぜなら、 (a) ライオンは獣の王と考えられている、(b) キリストは聖書において「ユダの獅子」と呼ばれている、(c) 私はこの作品を書き始めた時に彼(キリスト)がライオンとなる奇妙な夢を見た、ためである。[9]」
アスランの死と復活とイエスの死と復活との間の類似性が言及されている。ある著者は、イエスのように、アスランは死の前に嘲られ、悼まれ、そして亡骸が横たわった場所からいなくなったことが発見される、と述べている[10][11][12] 。
『さいごの戦い』におけるカロールメン人へのアスランの言葉(「タシにつくすほんとの信心は、わたしに通ずるのだ(中略)タシにまことをちかって、そのちかいを守る者があれば、その者が知らないにせよ、その者がまことにちかったあいては、じつはわたしなのだ。またその者にむくいを与えるのも、このわたしだ。[13] 」)は、偽りの神(タシ)に仕えたものであったとしてもカロールメン人が行った善行を承認している。これらの言葉は非明示的に包括主義を是認しているため論争の的になっている[14]。 2005年の映画『ナルニア国物語/第1章: ライオンと魔女』では、CGIのアスランが登場し、リーアム・ニーソンが声を担当した。
映画での描写