アストロ球団
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^ 例えばロッテ戦の最後において、球三郎のセンターライナーを坂本がキックで村上捕手にボールをトスし、捕球しようとした村上にカミソリの竜がスライディングしてボールがこぼれてサヨナラとなるシーンがあるが、トスを捕手が捕球すればタッチ不要でアウト(キャッチャーフライ)であり、また明らかに守備妨害であるのに試合はそのまま終わってしまう。またビーンボール魔球のシーンでは、スイングしたバットに当たったボールがバットを粉砕した上で打者の身体に当たっているのをデッドボール扱いで打者が出塁している(危険球であっても先にバットに当たっているためファウルである。またバットに当たらなくてもスイングしているためストライクを取られる)。スカイラブ投法も二段モーションに相当するのでボークと扱われる。他にも、リョウ坂本がホームランを打ち、ベースランしないでそのままベンチに帰ってしまい 審判に「ホームランだから回る必要ないだろ」と言い放ち、審判が「それもそうだが」と納得してしまっているが、これも走塁放棄でアウトになる。
^ 西村繁男 『まんが編集術』 p133
^ ワイド版においてもすでに、いわゆる差別語を中心として多数の台詞が修正されている。
^ この「た」抜きセリフは太田出版のみの変更で、集英社による後述のコンビニコミックの際は元の表現が再度使用されている。
^ 発行の前期と後期で収録ページ数が変わっており、前期は明智兄弟獲得エピソードからブラック戦を経てロッテ戦終了までで3分冊(平均480ページ)、後期は以降のビクトリー戦を軸に最終話までを10分冊(平均200ページ)で編集されている。 この構成上、冒頭から三荻野球一獲得までのエピソードは未収録で、初巻巻頭での説明のみ。後期でも冒頭部に相当するロッテ戦直後の巨人軍の反応や、ビクトリー戦への繋ぎにて球六が富士の球四郎秘密特訓場へ乗り込むエピソード、無七志の初登板を含んだ後楽園球場でのエピソードが省略されており、全編収録には至っていない。 巻末コラムを掲載した巻を以下に示す。「超人たちの必殺プレイを科学せよ!!」(柳田理科雄、Vol.2、3)、「戦力&戦法 徹底データ分析!!」(豊福きこう、Vol.4)、「超人の心得&名言集」(Vol.5、6、8)、「アストロ球団熱血史」(Vol.9、13)
^ クロスネット局の福井放送テレビ宮崎を除く
^ 沢村の予知夢に現れた宇野球児とおぼしき人物は、新生球団結成期日を12月と告げているが、シュウロは結成目標を同年9月9日と設定している。この認識の行き違いに関してはその後も特に説明はされていない。物語の結末も期日前倒しで9人揃い結成されており、期日自体に大きな意味はなかったようだ。
^ 後にシュウロはこの現象を、白光球の一つ一つが各超人の誕生とともに体内に宿ったと説明している。
^ ルール上は投球後に打席を変わるとアウトであり、その場で荒巻監督からも指摘されている。しかし無七志本人の負けを認める発言で決着となった。
^ この当時のロッテ球団は正式なフランチャイズ球場が無い状態だった(ジプシー・ロッテも参照の事)。
^ この経過表現で「4月31日」というありえない日付が登場している。単行本では30日に修正しているもの、いないもの様々である。
^ 球四郎が「オールスター戦の客をごっそりいただく」と提案し試合日を重複させたため、開催一週間前に日本プロ野球協会が延期を決定した。
^ この件は球四郎が墓参りをする「ゆらぐプロ球界!の巻」雑誌掲載時にアバンタイトル3ページに渡って伝記風に述べられるが、ジャンプコミックスを含む全ての単行本において未収録である。
^ 一度だけ右打席に立った事があるが、特に右で打つ理由がなかったため、おそらく作画ミスと考えられる。ビクトリー戦8回裏でバロンが脳にダメージを負いつつファウルボールを好捕する打席が右。
^ アストロは球一を除いて全員が右投げ右打ちである。球四郎が右腕負傷により左腕で投げるのが唯一の例外。また球一も左腕負傷時は右腕で投げられ、日本シリーズで堀内恒夫に変装した際は、右投げで阪急打線を4イニング失点0に抑えている。事実上、投手陣は両投げの二枚看板と言える。
^ a b c d e 球一、球四郎、球六はそれぞれ伊集院兄弟との対比で兄弟がいない事が語られており、球二は天涯孤独、球五は孤児、球三郎の兄・大門も血が繋がらない義兄である。本編において超人には、常人である兄弟の存在が確認されておらず、超人の資格の一環である可能性がある。
^ a b c 少年ジャンプ掲載時のプロフィールより。
^ 豊福きこう「ブラックジャック89.5%の苦悩」第四章による計算値。ボブ・フェラーの球速158.68km/hと、作中での表現「球速0.3秒」に基づく。
^ 持ち球である秘球・魔球はドロップに属する「落ちる変化球」を主体とし、身体負担から投球数が制限されがちであったが、最終型に当たるファントム魔球においては落差45cmを実現しながらも回数制限がなくなったようで、ビクトリー戦内で披露投球を含め21球投げている(22球目は疲労から変化せず)。ただし連投により威力が弱まる性質があり、球四郎とバロンには本塁打を浴びている。
^ 超人の中に囲まれていても偽者とバレなかった程、野球の才能は高く、むしろ通常に既存球団と契約した方が大成し金を稼げたと思われる(ただしアストロの強大な宿敵となった公算も大きいが)。にもかかわらず、真の捕手であるチビ球二の覚醒前にチームの体裁を構築できた点において、彼がアストロに捧げた功績は計り知れないほど大きい。
^ 掲載プロフィールによると、座ったままライナーでバックスクリーンまで投げられる。また頭脳プレイは巨人・をしのぐともあるが、作中では判断ミスも目立ちそこまでの印象は受けない。ロッテ戦まではバッテリー間のサインが存在せず球一主導で投げていた点からも、球二が采配に加わる機会が少なかった事が見受けられるが、逆にどんな球でもノーサインで捕逸する事なく捕れる事が超人捕手としての本領なのかもしれない。その後、超人の驕りを反省したのか、ビクトリー戦ではバッテリー間で盛んなサイン交換が行われている。
^ 何故か鹿児島出身でない点については太田出版の『アストロ球団メモリアル』でも指摘されている。陣家の嫡子として誕生しているため、陣夫人が東京で出産したと推測される。なお球三郎は陣流拳法総本山・地獄門を球六と訪れた際、「父や母をうばいさった地獄門」と述懐しているが、これが実親の陣夫妻、継親の伊集院夫妻の何れを指すのかは不明である。
^ 高三の夏まで高校に在籍していた描写は、球三郎の境遇変遷の期間を非常に狭めている。レース事故より蘇生してアストロに移籍した期日が同年の12月9日と確定しているため、レーサーとしてはほんの数ヶ月しか活動できない。
^ 前注から導かれる矛盾点の一つ。球三郎のレーサー活動は1972年(昭和47年)内後半に限定されるが、同年の日本グランプリは5月3日開催であり、球三郎の参加は不可能である。
^ 唯一、アザそのものが誌面に露出する事がなかった超人である。掲載プロフィールでは「右足」と明記されているが、ロッテ戦・ビクトリー戦における超人結集時のアザの疼きの際は、左脚を抱える描写が見られる。なおパチスロ版の画面表示においてのみ、右足ソックスの破れ目からアザが露出するカットが描かれている。
^ ビクトリー時に負傷した右腕は回復して動くようだが、マウンドでは左で投げている。ちなみに、本編ラストのイメージカットでは右での投球を見せている。
^ 野生の強さを持つ球四郎の力量が一族に恐れられた一面もある。
^ 三段ドロップ、スカイラブ投法、無七志の殺人L字ボールを再現しているが、投球に両腕を使用するスカイラブはともかく、三段ドロップとL字ボールを乱入時は左投げで再現していた。更にビクトリー時代は三段ドロップを右投げでも再現しており、球四郎の器用さが窺える。また球六は右投げからの三段ドロップ(これは沢村、シュウロと同じバージョン)と初めて相対した筈だが、「球一のとクセが全く同じ」と意に介さない反応で打ち返していた。
^ 俊足の代名詞である球七を除けば、メンバー内で唯一「俊足」と形容されている。
^ ただしビクトリー戦でアストロで唯一人ホームを踏んでいない。
^ 球六の特異な体質により、普段は赤銅色の肌に隠れてアザが見えないが、最高に奮い立った時、肌が蒼白に変化しアザが出現する。加えて場所が背中という事もあり、自ら超人だという事自体に気付いていなかったと見られる節もあり、超人の判定が遅れる原因ともなった。
^ 作画・中島の母の出身地であり、従兄弟たちが暮らす島であった。また原作者・遠崎にも縁の深い土地であり、上京前に中学校教師として赴任、野球部監督を務めていた。また遠崎は後に屋久杉を題材とした児童書を出版している。[1]
^ シュウロの分析によると当初は「長打力はない」と評価されていたが、バント以外のヒッティングでも毎試合、外野を抜ける長打を連発している。このためアストロ打線は事実上切れ目がなく、相手側の魔球や超守備で防ぐ手がない場合、毎イニングが大量得点のチャンスであり、ブラック戦と番外編では10得点以上のビッグイニングが発生してしまっている。
^ ベンチ内に収まらず、1人でベンチスペースの外枠に肘をかけて寛ぐような状態であるため、当然ベンチ内での超人同士の会話には参加できず、攻撃回での描写は極端に少ない。また他の超人たちと一緒の構図に収めづらいため省略されたり、劇中の重要な瞬間を見守る各員を同時に多数のコマで割り振って描くカット(たとえば「球一と氏家の相打ち」「ビクトリー戦の最後の一球」など)でもなぜかコマが充てがわれず、描かれるのが「球八以外のナイン全員」になる場合があった。
^ 球一が倒れた際に軽い気持ちで志願してマウンドに登るも、坂本の2ランホーマーを浴び萎縮、その後もストライクが入らず四球を連発して1イニング計4点を失った。
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