全日本女子プロレスに所属した時に当時から現在まで可愛がられている一年先輩の北斗晶によって「お前の顔って『アジャ』って感じだよな、今日からお前のあだ名は『アジャ』な」と言われた。その後アジャのリングネームを考える時に団体のある偉い人が『ブラック・サンデー』という名前を考えた。しかし、ロッシー小川により「こいつには『アジャ』って立派な名前(アジャ本人は特に立派とは思っていなかったが、先輩に言われたら断れないため受け入れたもの)があるから『ザ・アジャ』はどうだ?」という提言により『ザ・アジャ』となるもイマイチ音の響きがしっくりこないため一日だけで使わなくなり、本名を使った『アジャ宍戸』で活動を始める。
その後、元々小柄(入団当時は60kg)だったアジャは周りから体を大きくするように言われて3年後に体重を数10kg増やして技を決めた時に胸をたたくなどの演出をしていた。この動きを見た団体の人から『キングコング・アジャ』って名前がいいのではとの話になると女だから『クイーン・コングアジャ』、長いため『コング・アジャ』に決まりかける。『コング・アジャ』で試合をしたが、終了後に氏家清春リングアナから「『コング・アジャ』だとコールする時に音を伸ばしにくい。逆にして『アジャコング』にした方が呼びやすい」との提言により、『アジャコング』に最終決定した[19]。
後付の理由で「アジアのキングコング」の意という事になっている[20]。 全女にはいわゆる「三禁」があったが、実際は試合に影響さえなければ自己責任の下で大目に見てもらえたので飲酒をする全女のレスラーはいた。アジャもその1人である。[要出典]
酒関連のエピソード
20歳を過ぎて名前が売れた頃から、西脇充子に誘われて六本木・芋洗坂にあった10人も入ったら満席になるスナックでよく飲んでいた。その店の常連は上戸ばかりであり、ボトルを1本空けないと「ヘタレ!」と言われるくらいであった。時には羽振りの良い客が居合わせた人全員にボトルを1本ずつプレゼントするので、店にいる者たち全員で早飲み競争をしたことがある。そのうちアジャひとりでも店に通い出し、東京にいる時はほぼ毎晩、地方巡業で試合をして深夜に帰宅であっても目黒の自宅からタクシーを走らせて通った。その様子は店の常連から「マンションを解約して、荷物を店に置いとけばいいじゃん。お風呂はサウナで十分」と冷やかされる始末であった。この生活は六本木の大規模都市再開発の影響によりその常連スナックが閉店するまで5年から6年続き、アジャはすっかり酒に強くなったという[21]。
上記のように酒に相当慣れていたアジャだが、それでもトラウマになった出来事がある。翌日は試合が無く、当時原宿にあった全女のアンテナショップでのイベント出演の予定だけという前夜に、師匠であるブル中野に飲みに連れて行かれ目黒の居酒屋で2人で「ビール大瓶50本」を飲んだが、この時をアジャが後年振り返った際「さすがに翌朝の二日酔いの酷いことといったらない」と述べている。翌日、本来後輩であるアジャが先輩である中野を送り迎えするべきところ、アジャがあまりに酷い酔いだったため、二日酔いにならなかった中野がアジャの送り迎えを行い、イベントでも中野がトークの中心になってお客さんを盛り上げた。「ブルさんはケロッとしてるだけじゃなく、私を気遣ってちゃんとフォローもしてくれたわけです。先輩だとか、強いってだけじゃなく、ひとりの女性としても、もう頭が上がらないですよ」と中野を最大限にリスペクトするコメントを残している。アジャはこの時の二日酔いがトラウマとなり、それ以後ビールが飲めなくなったという[21]。
入場テーマ曲
THE HELLION?ELECTRIC EYE (JUDAS PRIEST)
Jungle Emperor(野村義男作曲) - 1994年?1997年頃に使用
タイトル歴
全日本女子プロレス
第38代、第40代WWWA世界シングル王座
第92代・第94代・第95代・第120代WWWA世界タッグ王座(パートナーはグリズリー岩本→バイソン木村2回→アメージング・コング)