アシュレイ・ジャッド
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イタリア系アメリカ人の父と、後にカントリーミュージシャンとなるナオミ・ジャッド(英語版)の間に生まれる[2][3]。異父姉に同じくカントリーミュージシャンのワイノナ・ジャッドがいる。1972年に両親が離婚したため、1974年ケンタッキー州に移住。そこでは貧しい生活を送ることになった。一家は水も電話も電気もないことがあったという。寂しい幼少期を支えたのは読書で空想に浸ることだった。母ナオミがワイノナとカントリーデュオ「The Judds」を組んでデビューし、成功を収めたことで、生活が上向く。

大学入学前からモデルの仕事を始め、大学の休暇中には来日もしている。ケンタッキー大学フランス語を専攻し、人類学女性学美術史、そして演劇を副専攻にした。

フランスに留学したが、女優になる夢を追い、大学を中退し、ハリウッドへ移住。ウェイトレスなどの仕事をしながら、演技の勉強をした。

その後、ケンタッキー大学に復学し、2007年5月に卒業。2010年には、ハーバード大学大学院のジョン・F・ケネディ・スクール公共政策大学院)を修了し、行政学修士を取得した。

女優として最初の仕事は、テレビドラマ『新スタートレック』のロビン・レフラー少尉役(1991年)。

1991年から1994年にかけてテレビドラマ『Sisters』に出演するかたわら、1992年の『Kuffs』で劇場映画デビュー。1995年の『ヒート』と1996年の『評決のとき』で大役ではないながらも注目を浴び、1997年の『コレクター』と1999年の『ダブル・ジョパディー』で主役に抜擢された。両作品では、芯が強い女性キャラクターとしてアクションをこなした。

その後、2012年放送のドラマ『ミッシング』(全10話)の主役としてテレビ界に復帰し、行方不明の息子を捜し求める元CIAエージェントのシングルマザーを演じた[4][5]

2022年にはハーヴェイ・ワインスタインから受けた性加害の告発を描いた『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』で自身の実体験と共に実際に性加害を受けた一人として本人役で出演した。

なお、日本では、ホンダの軽自動車「ライフ」のテレビCMに出演していたことがある。
私生活

野球選手のブレイディ・アンダーソンや歌手のマイケル・ボルトン、俳優のマシュー・マコノヒーロバート・デ・ニーロと交際したことがあり、インディカー・シリーズなどで活躍するダリオ・フランキッティ2001年12月に結婚。夫の母国のスコットランドと牧場のあるテネシー州の2か所を行き来しながら暮らしていたが、2013年1月に離婚を発表した[6][7]

チャリティにも参加しており、YouthAIDSの大使としてカンボジアやルワンダなどを訪れた[8]

2011年、自伝All That Is Bitter and Sweetを発表し、幼少時代に性的虐待やネグレクトを受けた過去を告白した[9][10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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