アサンドロス
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ペルディッカス死後の紀元前321年に開かれたトリパラディソスの軍会でアサンドロスはこれまでの地位を維持した[5][4][6]

紀元前315年、小アジアでのアスクレピオドロス(カッサンドロスの将軍)、アサンドロスに対してアンティゴノスが甥のプトレマイオスを小アジアに送ると、アサンドロスはプトレマイオス1世からの援軍を受けつつプトレマイオスと戦った[7]

紀元前313年、アンティゴノスは自らアサンドロスに対して軍を率いて向い、降伏させた。アンティゴノスはアサンドロスに対して沿岸のギリシア都市の自由を復活させ、カリアの太守位をアンティゴノスに譲り、人質として兄弟のアガトンを差し出すという条件の講和の締結を強いた。しかし数日後アサンドロスはこの屈辱的な協定を破り、アンティゴノスの手からアガトンを取り戻そうとし、プトレマイオスとセレウコスに助力の使節を送った。アンティゴノスはアサンドロスのこの行動に憤慨し、すぐに軍を送り、アンティゴノスによってカリアは完全に征服された[8]。この時を境にアサンドロスは歴史の表舞台から消え、その後の彼の消息は不明である。
^ アッリアノス, I. 17
^ ibid, IV. 7
^ ディオドロス, XVIII. 3
^ a b フォティオス, cod. 92
^ ディオドロス, XVIII. 39
^ ユスティヌス, XIII. 4
^ ディオドロス, IX. 62, 68
^ ibid, XIX. 75

参考文献および

アッリアノスアレクサンドロス大王東征記』 大牟田章訳、岩波文庫(上下)、2001年

ディオドロス『アレクサンドロス大王の歴史』 森谷公俊 訳註、河出書房新社、2023年。完訳版

ポンペイウス・トログス / ユスティヌス抄録『地中海世界史』 合阪學 訳、京都大学学術出版会西洋古典叢書〉、1998年

外部リンク

ディオドロスの『歴史叢書』の英訳

フォティオスのBibliothecaの英訳


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