アサヒビール
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永井一正がロゴデザインを担当、右上がりで勢いとキレのあるイメージとした[15]。
1987年3月17日 - 日本初の辛口生ビール「アサヒスーパードライ」発売。
1989年
「アサヒビール株式会社」に商号を変更。創業時から販売されてきた熱処理されたラガータイプのビール「アサヒビール(オリジナル)」販売終了。
東京都墨田区吾妻橋の旧吾妻橋工場跡地に「アサヒビールタワー」完成。
1996年 - 清涼飲料水部門が「アサヒ飲料」として分社独立。
2001年
発泡酒「アサヒ本生」(現本生ドラフト)発売、発泡酒事業に参入。
ニッカウヰスキーを完全子会社化。
缶チューハイ「ゴリッチュ」発売、チューハイ事業に本格的に参入。
2002年
沖縄のトップブランド、オリオンビールと包括的業務提携を結ぶ。
協和?酵工業(現:協和キリン)の酒類事業(かのか・大五郎・カクテルパートナーなど)と、旭化成の酒類事業部門(ハイリキ・旬果搾りなど)を譲受。協和?酵工業と合弁で新会社「アサヒ協和酒類製造株式会社」を設立。
2004年
ペットボトル入りビールの発売を予定していたが、延期を発表。
韓国のヘテ飲料を買収することで合意したと発表。
2005年
協和?酵工業との合弁契約満了に伴い、アサヒ協和酒類製造[注釈 2]を完全子会社化。
ビール風味の新アルコール飲料 (いわゆる第三のビール) 「アサヒ新生(しんなま)」(後に新生3)発売。
チルド飲料メーカー・エルビーをカネボウフーズから買収。
ロッテと共同投資するため韓国からのロッテアサヒ酒類が設立。
2006年
ベビーフードメーカー・和光堂を第一三共から買収。
「新生3」に続く第三のビール「アサヒぐびなま。」「アサヒ極旨(ゴクうま)」発売。
2007年
和光堂を完全子会社化。
大手食品メーカー カゴメと業務・資本提携、「トマーテ」発売。
2008年
アサヒ飲料を完全子会社化。
フリーズドライ食品メーカー天野実業を買収。
本店所在地を吾妻橋本部ビルがある東京都墨田区に変更。
3月 - 第三のビール「クリアアサヒ」発売。同系列のアルコール飲料で初の大ヒット商品となる。
2009年4月 - オーストラリアの清涼飲料メーカー(同国2位)のシュウェップス・オーストラリアを、キャドバリーグループから買収。
2010年
アサヒビールグループの統一コーポレートスローガン「その感動を、わかちあう。」を制定。アサヒビール・アサヒ飲料・アサヒフード&ヘルスケアの3社でこのスローガンを使用する。
オーストラリアの清涼飲料メーカー(同国3位)のピー・アンド・エヌ・ビバレッジズ・オーストラリア(P&N)を、創業者一族から買収。
韓国のヘテ飲料を売却。
2011年
3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生、福島工場が被災。スタイニーボトルシリーズが製造中止となり、後に製造・販売を終了。
7月1日 - アサヒグループホールディングス株式会社に商号変更。同時に、会社分割により酒類事業を子会社の(新)アサヒビール株式会社に承継させて、持株会社制に移行。
2022年
1月1日 - アサヒグループ再編に伴い、アサヒグループジャパンの子会社となる[16]。
10月15日- 佐賀県、鳥栖市と進出協定を締結[17]
2023年
1月31日 - 神奈川工場と四国工場の操業終了(予定)[18]
2024年
3月 - 子会社ニッカウヰスキーの西宮工場の操業終了(予定)[18]
2026年
博多工場について鳥栖工場を新設して移転予定[18][17]。
歴代社長
初代 山本爲三郎
二代目 中島正義
三代目 高橋吉隆
四代目 延命直松
五代目 村井勉
六代目 樋口廣太郎
七代目 瀬戸雄三
八代目 福地茂雄
九代目 池田弘一
十代目 荻田伍
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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