アサヒスーパードライ
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この時期まではビールに関して、世の中の人からは「ビールは苦く重い」、ビール業界では目隠しテスト(ブラインドテスト)の結果から「客はビールの味がわからない」という考えが常識化していた[20][54][55]。アサヒスーパードライが製造開始される1987年前後の日本は食中酒としてのアルコール飲料を探していた時代といえた[56]

アサヒビールは1980年代前半から中盤にかけて低迷していたが、社長に村井勉が就任してからさまざまな改革を行っていた[57]。1984年夏から1985年夏にかけて[注 13]、アサヒビール[注 14]は東京と大阪でそれぞれ5000人を対象に味覚・嗜好調査を実施[7][20][54][55]。これで得られたデータや前述のビールに関する常識から推考したり発想を変えて「嗜好は変化する」「客は味が分かる」と仮説を立てて調査・分析すると下記の事柄が浮き彫りになってきた[20][55]

日本では砂糖の摂取量が増え味付けがどんどん濃くなっており[20]油脂購入量は1960年から1980年の20年間で日本の一世帯あたり約2倍に増加[7]

日本人は日本食という繊細な料理を食べていることから「日本食に合うビールがあるはず」と推測[20]

肉中心の献立を好む子供が増加傾向にあるという学校給食研究会の調査結果[7]

各種の調査・研究・分析結果を踏まえ、将来に渡っても、油脂の多い食事と合うさらっとしたビールが求められていると、アサヒビール技術開発部長は分析した[7]

これらの結果から、消費者はビールに「軽快で飲みやすい」「味わい」「爽快感」を求めていることが判明[7][58][54]。この傾向は20代、30代の消費者に顕著であった[7]。これにマッチする味は辛口という仮説が生まれ[20]、新ビールのコンセプトは「辛口・生ビール」とした[54]

1986年3月、コードネーム「FX」として開発プロジェクト開始[49][注 11]。苦味を抑え、甘さも少なくしたビールを目指した[8]。開発の最初はレシピ作成からで、コンセプトに合う酵母を同社の酵母バンクから探した結果、発酵能力がズバ抜けて高く独特の香味特性を備え、コンセプトに適合していた「アサヒ318号酵母」に決定[54]。次に原材料の種類・使用比率や発酵条件など様々な条件や組み合わせを細かく設定しながら試作して、コンセプトを満たす必要条件を決め込んでいった[54]。アルコール度数は当時の一般的なビールの度数4.5%に対し、5%と高めにしてスッキリとした味わいを出した[55]。出来上がった数々の試作品と共に様々な和食洋食中華料理つまみを用意して、実際の飲食シーンに近い状況で試飲を多数繰り返した結果、コンセプトに合致する味に到達した[54]。3ヶ月後の同年6月、試作品が完成し、当時の社長である樋口廣太郎など複数の役員を対象に試飲を実施し、高評価を得る[9]。商品化の最終段階では、前年に発売した新アサヒ生ビール (コクキレビール) が好調であったため、自社製品である新アサヒ生ビールとの競合を懸念する声が社内から挙がったが、樋口の判断で1987年3月17日に名称「アサヒスーパードライ」として地域限定で販売開始[9]。販売開始年には年間100万箱を目標としていた[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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