アクバル
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ヘームーはもともと野菜売りの出であったが、スール朝の軍造司令官・宰相にまで上りつめた人物であった[10]

フマーユーン死後すぐ、ヘームーは混乱に乗じて挙兵し、デリーとアーグラを占領した[10][11]。10月にデリーが占領されたとき、アクバルとバイラム・ハーンはパンジャーブ地方でスール朝の残党討伐にあたっていたが、ジャランダルにいた彼らにその知らせが届くと、皇帝の側近である将校には恐怖が走った。軍勢の数は帝国軍2万に対し、ヘームーの軍勢は10万を超していたからだ[11]

将校らはこの大軍と戦うことは無理があるとし、ひとまずカーブルに引き上げたうえで新たに兵員を増やした後、再びインドを征服することを提案した[11]。だが、アクバルとバイラム・ハーンは今すぐ戦うべきだとし、バイラム・ハーンは何も抵抗せずにデリーを敵に明け渡したタールディー・ベグを処刑したため、退却を主張した将校は黙り、軍は士気を取り戻した[11]

同年11月5日、アクバル率いる軍勢はデリー北郊のパーニーパットでヘームーの軍と激突した(第二次パーニーパットの戦い[12][13]。パーニーパットは起伏が連なる広原地帯であり、1526年にはこの地でアクバルの祖父バーブルがローディー朝を破り、ムガル帝国を創始した歴史的な地でもあった[12][13]

両軍の戦力の差は圧倒的で、帝国軍はヘームーの大軍に両翼を包囲され、敗北寸前に陥った[12][13]。ヘームーが勝利したと思われたとき、象の上に乗って指揮をしていたヘームーが片目を矢で射られて意識を失い、彼の軍は混乱に陥った。

数時間後、ヘームーの大軍は潰走し、ヘームー自身も捕らえられ、アクバルの前に突き出された。バイラム・ハーンはアクバルに(異教徒を自らの手で殺害した者に与えられる)「ガーズィー」の称号を得るため、アクバル自らヘームーを処刑するように促した[12]。だが、アクバルは抵抗できない敵に自ら手を下すことを拒み、バイラム・ハーンにその役目を任せ、自らはその剣に手を添えるにとどめた[12]。こうして、ヘームーは処刑され、第二次パーニーパットの戦いは終結した。
宮廷内の対立と帝国の実権掌握
バイラム・ハーンの追放少年時代のアクバル

帝国軍はヘームーの軍を撃破しながら進み、同月7日にアクバルは帝都デリーに入城した[12]。また、アクバルの治世に敬意を払っていたアーグラなどデリー周辺の都市も帝国に帰順した[12]。アクバルの母も状況が安定するとカーブルを出発し、彼女らがパンジャーブに近づくと、アクバルは自ら一日かけて母親を出迎えに行った。それから2年後の1558年には、帝都がデリーからアーグラへと遷都された。

さて、バイラム・ハーンはアクバルの摂政として権勢を誇った。だが、彼はいささか傲慢で権力に対して執着するところもあり、またタールディー・ベグの処刑は後を引いたことも相まって、貴族らは反感を抱いていた[12][13]。そのうえ、彼が宮廷で大多数を占めるスンナ派ではなくシーア派を信仰しており、自身の彼が支持者やシーア派の者を高官に任じたことは古参の貴族から無視されていると非難を買った。

また、バイラム・ハーンは後宮勢力とも対立していた。それにはアクバルの王室の出費や、アクバルが叔父ヒンダールの娘ルカイヤ・スルターン・ベーグムのみならず、カームラーンの親族の女性とも結婚しようとしたことでアクバルとバイラム・ハーンとの間に面倒なやりとりがあった。後宮の女性の存在はバイラム・ハーンにとっては脅威であった[14][13]

そのうえ、アクバルが自身の地位や統治に責任を持つようになると、バイラム・ハーンとの対立が鮮明になった。彼はまたバイラム・ハーンを「バーバー・ハーン」(父なるハーン)と呼びつつも、皇帝を凌ぐ権力を持つ彼を内心では恐れ、その掣肘を煩わしく思うようになっていた[13]。アクバルは後宮を支配していた母のハミーダ・バーヌー・ベーグム、乳母頭のマーハム・アナガ、その息子アドハム・ハーンという相談相手を得て、バイラム・ハーン失脚の陰謀をひそかに企てた。

こうして、1560年3月、ついにバイラム・ハーンの失脚計画が実行された。アクバルはマーハム・アナガらの知恵を借り、バイラム・ハーンの失脚計画を実行した。まず、アクバルはバイラム・ハーンとともに首都アーグラを離れて狩りに出かけ、マーハム・アナガはデリーにいるアクバルの母が病に倒れたとの嘘の知らせをアクバルに入れた[15][16]。アクバルは病気見舞いを口実にバイラム・ハーンのもとを離れてデリーに向かい、バイラム・ハーンはアーグラへと戻った[16][15]。また、ムヌイム・ハーンはマーハム・アナガの要請で、バイラム・ハーンがアクバルの代わりにミールザー・ハキームを利用しないよう、彼を連れてデリーに赴いていた[15]

だが、計画したのがマーハム・アナガだと分かった場合、彼女はバイラム・ハーンに報復される可能性があった。そこで、彼女はアクバルを一旦デリーの外に出させ、そこからバイラム・ハーンとのやり取りをさせた。こうして、アクバルはバイラム・ハーン解任を宣言する旨の勅令をだし、バイラム・ハーンもこれを了承し、クーデターは成功したのである[16][17][18]

アクバルはバイラム・ハーンに彼は帝国を自身で統治するという旨を伝え、メッカ巡礼を命じて引退を勧告し、バイラム・ハーンもこれに従って巡礼に向かった[13][19]


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