イギリス、フランス、イタリアなどで『さらば友よ』(1968年)や『狼の挽歌』(1970年)に主演し世界的に人気を博していたチャールズ・ブロンソンは、久しぶりのハリウッド映画『メカニック』(1972年)で主人公の孤独な殺し屋「アーサー・ビショップ」を熱演した[11]。次のヒット作『狼よさらば』(1974年)では、妻を殺され娘をレイプされた無念のために変貌しニューヨークの街にはびこる犯罪者たちを次々と皆殺しにしていく男を好演し人気シリーズとなった[12]。ブルース・リー(1971年)
一方、香港映画『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)や『ドラゴンへの道』(1972年)で香港の人気アクション・スターとなったブルース・リー主演の『燃えよドラゴン』(1974年)が世界的なヒットとなり、「アチョー」と叫ぶブルース・リーの奇声(怪鳥音)やカンフー映画が世界で大ブームとなった[13][14][1][15]。ブルース・リー
映画の中での印象的な台詞「考えるな、感じるんだ」(Don’t think. Feel.)を発したブルース・リーは、新しい格闘技「截拳道」の創始者でもあり、肉体そのものを駆使する格闘アクション俳優として、のちに活躍するジャッキー・チェンやジェット・リーなどの多くのカンフー・スターの先駆的な存在となっただけでなく、アクションでのマーシャルアーツ(武芸・武術)の重要性を世界的に広めた[13][1][15]。
『燃えよドラゴン』(1974年)の公開直前にブルース・リーが急逝していたことも相まって、より伝説的な人気が世界に巻き起こったが、「ドラゴン」(ブルース・リーの異名)と名の付く映画は生前時から無数に増え続け[2]、ブルース・リーに憧れた若者の多くが武芸などの格闘技の道場に通うようになったり[2]、ヌンチャクを振り回してブルース・リーの真似をするようになった[15]。
SF映画のヒット作『スターウォーズ』(1977年)は、日本の武士の甲冑をヒントにしたサイボーグ「ダース・ベイダー」など様々な未来的キャラクターなどが登場し、宇宙空間でのアクション活劇という新たな魅力も相まって「スター・ウォーズシリーズ」化されたが、主演のハリソン・フォードの知性と野性を兼ね備えた「ハン・ソロ」役が注目された[1][8]。
オーストラリア映画のバイオレンス・アクション『マッドマックス』(1979年)では近未来の世紀末的な暴走族に対して1人で闘う警察官「マックス」役のメル・ギブソンが世界的な知名度を上げ、こちらも人気シリーズ化された[16]。ディストピア的な世界で異形の悪党どもと闘うヒーロー像は、日本の漫画『北斗の拳』(1983年 ? 1988年)の「ケンシロウ」をはじめ、のちの多くのディストピア・アクション作品の原型となった[16]。
1976年には、シルベスター・スタローン主演の『ロッキー』が公開。当時のハリウッドでは「アメリカンニューシネマ」が流行しており、ハッピーエンドを否定する作品やヒーローを描かない作品が最盛を極めていたが、『ロッキー』は「個人の可能性」「アメリカンドリーム」への憧憬を再燃させた[17]。
同時期には、アーノルド・シュワルツェネッガーを中心としたボディビルダー達を取り上げたドキュメンタリー映画の『パンピングアイアン』(1977年)が公開された。前述の『ロッキー』と、この『パンピング・アイアン』のヒットは、1970年代初頭のベトナム戦争後のトラウマや経済的不確実性を払拭したとされる。また本作は「シュワルツェネッガーはネオンのように映画を明るくする」と批評家から評価されるなど、シュワルツェネッガーのスクリーン上での存在感が「再発見」されることになった。『パンピング・アイアン』はドキュメンタリー映画でありながら、1980年代の肉体派俳優全盛の時代への到来を告げる作品であったとの指摘もある[18]。『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008年)でのハリソン・フォード
1980年代に入ると、ハリソン・フォードは冒険活劇の『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)でも主演に抜擢され、子供っぽさと大人のセクシーさを併せ持つ魅力的な個性で考古学者「インディアナ・ジョーンズ」がはまり役となった[8]。「インディ・ジョーンズ シリーズ」は長きに渡る人気作となり、3作目の『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)では「インディアナ・ジョーンズ」の父親役のショーン・コネリーと共演した[8]。主人公「インディアナ・ジョーンズ」のイメージは元々、ショーン・コネリーの演じた「007シリーズ」の「ジェームズ・ボンド」のようなヒーロー像が原型だった[8]。