日本映画では1920年代に時代劇の剣戟映画が隆盛となり、『雄呂血』(1925年)などに主演した阪東妻三郎の野卑で豪快な表情や、迫力あるニヒリスティックな殺陣のアクションが一世を風靡した[64]。また『丹下左膳』(1928年)から始まるシリーズで熱演した大河内傳次郎や、「天下御免の向う傷」を額に持つ「早乙女主水之介」が主人公の『旗本退屈男』(1930年)が当り役となった市川右太衛門、1927年から始まる『鞍馬天狗』シリーズなどの嵐寛寿郎が人気を博し[64]、他にも眼光の鋭い月形龍之介、明朗な個性の片岡千恵蔵などが時代劇を盛り上げた[64]。『御存知鞍馬天狗 宗十郎頭巾』(1936年)での嵐寛寿郎多羅尾伴内シリーズ『曲馬団の魔王』(1954年)での片岡千恵蔵
片岡千恵蔵は、第二次世界大戦後の1940年代には時代劇やチャンバラ映画が禁止されていたため現代劇で活躍し、『七つの顔』(1946年)から始まる「多羅尾伴内シリーズ」で私立探偵の七変化の面白さや二丁拳銃の乱射シーンを演じ、『にっぽんGメン』(1948年)から始まる「にっぽんGメンシリーズ」も人気となった[65]。これら片岡の演じたシリーズは、のちの東映・東宝ギャング・アクション映画の嚆矢にもなった[65]。『用心棒』(1961年)での三船敏郎(左)と仲代達矢(右)。後ろは加東大介
サンフランシスコ平和条約が締結され、敗戦直後からのGHQによる占領期間が終った1950年代になると時代劇やチャンバラ映画が復活・解禁され、大映の『羅生門』(1950年)や東宝の『七人の侍』(1954年)に主演した豪快な演技の三船敏郎が人気を博して世界的にも有名となった[5][4]。『用心棒』(1961年)や『椿三十郎』(1962年)でも迫真の殺陣を見せて不動の地位を築いた三船は、フランス・イタリア・スペイン・アメリカの合作の西部劇『レッド・サン』(1971年)でも侍役を演じ、チャールズ・ブロンソンやアラン・ドロンと共演した[5]。
『用心棒』(1961年)や『椿三十郎』(1962年)などで三船敏郎と多く共演していた仲代達矢も、主演作『切腹』(1962年)の壮絶な演技で世界的にも注目され、『御用金』(1969年)では適役の丹波哲郎との雪中での死闘を熱演した[66]。『御用金』はハリウッド映画『ザ・マスター・ガンファイター(英語版)』(1975年)で西部劇としてリメイクされた[67]。『大草原の渡り鳥』(1960年)での小林旭(右)と宍戸錠(左)