アカデミー賞
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(第24回)名誉賞(受賞)[55]『羅生門』(黒澤明監督作)在ロサンゼルス日本政府在外事務所の吉田健一郎が代理で授賞式に出席した[注 13]。
1952年
(第25回)美術賞(ノミ)『羅生門』 - 松山崇、松本春造(英語版)当時映画雑誌の編集長を務めていた淀川長治が日本人として初めて授賞式に正式に招待される[56]。
1954年
(第27回)名誉賞(受賞)[55]『地獄門』(衣笠貞之助監督作)
衣装デザイン賞(受賞)『地獄門』 - 和田三造
1955年
(第28回)名誉賞(受賞)[55]『宮本武蔵』(稲垣浩監督作)
衣装デザイン賞(ノミ)『雨月物語』 - 甲斐荘楠音
1956年
(第29回)衣装賞(ノミ)『七人の侍』 - 江崎孝坪『ビルマの竪琴』でプロデューサーの高木雅行がノミネート。外国語映画部門が創設された第29回は[45]、プロデューサーがノミネート対象だった[47]。『十戒』のアルバート野崎はパラマウント映画の美術監督[57]。
美術賞(ノミ)『七人の侍』- 松山崇
外国語映画賞(ノミ)『ビルマの竪琴』(市川崑監督作) - 高木雅行
美術賞(ノミ)『十戒』 - アルバート野崎(英語版)
1957年
(第30回)助演女優賞(受賞)『サヨナラ』 - ナンシー梅木
助演男優賞(ノミ)『戦場にかける橋』 - 早川雪洲
1961年
(第34回)外国語映画賞(ノミ)『永遠の人』(木下惠介監督作)[58]三船敏郎主演のメキシコ映画、『価値ある男』がアカデミー外国語映画賞にノミネート[58]。
衣装デザイン賞(ノミ)『用心棒』 - 村木与四郎[58]
1963年
(第36回)外国語映画賞(ノミ)『古都』(中村登監督作)
1964年
(第37回)外国語映画賞(ノミ)『砂の女』(勅使河原宏監督作)
1965年
(第38回)監督賞(ノミ)『砂の女』 - 勅使河原宏
外国語映画賞(ノミ)『怪談』(小林正樹監督作)
1966年
(第39回)助演男優賞(ノミ)『砲艦サンパブロ』 - マコ岩松
作曲賞(ノミ)『天地創造』 - 黛敏郎
1967年
(第40回)外国語映画賞(ノミ)『智恵子抄』(中村登監督作)
1970年
(第43回)撮影賞(ノミ)『トラ・トラ・トラ!』 - 佐藤昌道、姫田真左久、古谷伸
編集賞(ノミ)『トラ・トラ・トラ!』 - 井上親弥
美術賞(ノミ)『トラ・トラ・トラ!』 - 村木与四郎、川島泰造
1971年
(第44回)外国語映画賞(ノミ)『どですかでん』(黒澤明監督作)
1972年
(第45回)科学技術賞(受賞)キヤノンの向井二郎、広瀬隆昌向井、広瀬の両氏は、映画用マクロズームレンズの開発による。
1975年
(第48回)外国語映画賞(受賞)『デルス・ウザーラ』(黒澤明監督作)『デルス・ウザーラ』は、ソ連代表として受賞[59]。登山家の三浦雄一郎を描いた『エベレストを滑った男』が、カナダ映画として長編ドキュメンタリー賞を受賞[60]。
外国語映画賞(ノミ)『サンダカン八番娼館・望郷』(熊井啓監督作)
1976年
(第49回)科学技術賞(受賞)キヤノンの鈴川博「映画撮影用の超高速レンズ」
1978年
(第51回)科学技術賞(受賞)シネファイ(CINE-FI)の関口喜一ドライブインシアターで自動車のラジオ・アンテナにクリップでコードを繋いで音声を聴く[61]、CINE-FIオート・ラジオ・サウンド・システムを開発[62]。
1980年
(第53回)外国語映画賞(ノミ)『影武者』(黒澤明監督作)
美術賞(ノミ)『影武者』 - 村木与四郎
1981年
(第54回)外国語映画賞(ノミ)『泥の河』(小栗康平監督作)富士写真フイルム(現在の富士フイルムホールディングス)は、映画用高感度カラーネガフィルムの開発による。
科学技術賞(受賞)富士写真フイルム
1985年
(第58回)衣装デザイン賞(受賞)『乱』 - ワダ・エミ『乱』は、衣装デザイン賞の受賞を含めて全4部門で候補になる。
監督賞(ノミ)『乱』 - 黒澤明
撮影賞(ノミ)『乱』 - 斎藤孝雄、上田正治、中井朝一
美術賞(ノミ)『乱』 - 村木与四郎、村木忍
1987年
(第60回)作曲賞(受賞)『ラストエンペラー』 - 坂本龍一坂本は、デヴィッド・バーン、コン・スーとの共同で受賞。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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