スタント・コーディネーターのジャック・ギルは1991年からスタントマン賞の設立を嘆願しており、ヘレン・ミレンも設立を訴えている[35][36]。
ほかにキャスティング・ディレクターを表彰するキャスティング部門が提案され[37][38]、2018年には幅広い映画ファンの人気に応える、ポピュラー映画部門(Best Popular Film
)の新設が発表されるが、見送られた[39][40]。キャスティング賞については、2025年度の第98回アカデミー賞から新設されることが発表された。またスタント部門についても、アカデミーと新設に向けた話し合いが持たれていると、スタントマンで監督のチャド・スタエルスキが明かしている[41]。 アカデミー賞は「米映画の祭典」と銘打ってはいるものの、前記ノミネート条件を満たしていれば、英語音声以外で公開される映画(アメリカ以外の国で製作された映画を含む)であっても作品賞を含む本賞にノミネートされたり、あるいは受賞したりということは可能である。(但し実際には、ハリウッドの関係者が選出するというシステム上、純粋な外国映画はノミネートはされても受賞に至ったことは少ない。) 前記ノミネート条件を満たしていないアメリカ国外制作の非英語作品の場合は、各国の映画産業が映画芸術科学アカデミーに推薦する形で「国際長編映画賞」にエントリーされる。 国際長編映画賞の従来の名称は「外国語映画賞」であり、その最初の表彰は、1947年の第20回で「特別賞」に選出されたイタリア映画の『靴みがき』。もっとも、この時点で「外国語映画賞」という賞は存在せず、前述の「特別賞」の一つという扱いであった。ちなみに『靴みがき』の選出理由は、「敗戦国であるイタリアが、創造精神を駆使して、敗戦の逆境を跳ね返す作品を作り出したこと」であった[42]。 翌年の1948年(第21回)に「この年にアメリカ国内で公開された、最も優れた外国語映画」という理由付けで、フランス映画『聖バンサン
英語以外の映画の扱い
特別賞や名誉賞の一つとして行われていた外国語映画の表彰が、「外国語映画賞」という独立したカテゴリとなったのは1956年(第29回)からで(受賞作はイタリア映画『道』)、同年から各国推薦の作品を5本厳選してノミネートし、うち1本に賞を授与するという、現在のスタイルが完成した[45]。
その後、映画製作の国際化や多様化に伴う情勢の変化を考慮して、2019年(第92回)から名称を現行の「国際長編映画賞」に変更している(選考内容に変化はない)[46]。
国際長編映画賞を受賞するのはプロデューサーや監督ではなく、代表作品の選出国で[注 12]、授賞式で監督は選出国を代表してオスカー像を受け取り[49]、所有することが出来る[50]。
出品作は実写の劇映画のみならず、アニメーションやドキュメンタリーも選考の対象になり[51][49]、当該ジャンルの規定に沿った条件を満たしていれば、作品賞を始めそれら各賞(アニメーション、ドキュメンタリー)他の選考対象にもなりうる[51]。
日本との関係.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この節では色を扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。
この項目では、アカデミー賞において受賞を含めてノミネートされた日本映画や映画に関わった日本人などを主に記している。
以下の表では、アカデミー賞を受賞した作品には記号「(受賞)」を付しており、ノミネートに留まった作品は記号「(ノミ)」を付している。
年(回数)ノミネートされた各賞ノミネートされた作品・人物特記事項
1936年
(第9回)美術賞(ノミ)『巨星ジーグフェルド』 - エディ今津(英語版)(今津やすへい)エディ今津はMGMの美術監督。
1951年
(第24回)名誉賞(受賞)[55]『羅生門』(黒澤明監督作)在ロサンゼルス日本政府在外事務所の吉田健一郎が代理で授賞式に出席した[注 13]。
1952年
(第25回)美術賞(ノミ)『羅生門』 - 松山崇、松本春造(英語版)当時映画雑誌の編集長を務めていた淀川長治が日本人として初めて授賞式に正式に招待される[56]。