アカズ
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2001年7月26日[11]ベルギー当局によってブリュッセルで逮捕され[11][12]2001年10月3日にアルーシャルワンダ国際戦犯法廷にある収容施設へ移送され[11]2005年10月3日にルワンダ国際戦犯法廷により起訴された[11]。他の文献[12][13]では、起訴は2006年と書かれているが、検察側の審理がいったん終了し弁護側の審理が始まったのが2006年であり[11]、検察側の審理は2005年には始まっている。よって、これらの文献の記述は誤りである。2008年12月18日[14]、1審判決が出され、計55年の禁固刑を申し渡された[14](ケショ(Kesho)の丘でのジェノサイドについて禁固20年、キヨヴ(Kiyovu)検問でのジェノサイドについて禁固15年、ケショの丘での人道に対する罪で禁固20年[14])。判決は3つの罪に関する禁固刑を同時に科すことを求めたので服役期間は20年であった[14]。1審判決に不服であると主張して検察・被告側がともに控訴した[15]2009年11月16日2審判決が出され、被告は逆転無罪になった[16]。無罪となった理由は、被告側が主張したアリバイの評価を1審判決が誤ったことや、アリバイの成否の証明の責任は検察側にあるにもかかわらず、1審判決はむしろ被告側にその責任を求めており[17]、もっとも基本的な法の原則を無視した[18]ことによる。ジギラニラゾは、1985年に起きたダイアン・フォッシー(Dian Fossey, 高名なアメリカの動物学者)殺害への関与が示唆されている[9][19]。インテラハムウェのアドヴァイザーでもあり[20]、新聞「カングラ」へ資金提供していた[10]

エリー・サガトゥワ (Elie Sagatwa):アガト・ハビャリマナの弟。大統領警護隊の実質的な最高指揮官であったが、1994年4月6日の航空機撃墜時にジュベナール・ハビャリマナとともに死亡[21]

セラファン・ルワブクンバ (Seraphin Rwabukumba):アガト・ハビャリマナの弟[8]の末の弟[22]で、中央銀行総裁[23]。第64部隊ゾウロウ(the 64th battalion Zoulou、ギコンド(Gikondo)のインテラハムウェの部隊の名前[24])のトップだった[24]。インテラハムウェのアドヴァイザーでもあった[20]

カシミール・ビジムング (en:Casimir Bizimungu):ルヘンゲリ県出身。開発国民革命運動 (MRND) の中央委員で1994年の暫定政権の保健相を務めていた。イデオロギー面におけるジェノサイドの指導者であったとされる[25]

アナトール・ンセンギユンヴァ (Anatole Nsengiyumva):ギセニ県出身。同県の軍事作戦司令官で、ルワンダ虐殺時にはニュンド教会の虐殺など県内の虐殺に関与[26]。ルワンダ国際戦犯法廷により起訴、逮捕されている[27]

テオネスト・バゴソラ (en:Theoneste Bagosora) :ギセニ県の出身。退役軍人でルワンダ国防省官房長[28]。ジェノサイドの計画・遂行の中心人物で、人道に対する罪で有罪となり無期懲役の判決を受けた[29]

フェリシアン・カブガ :息子がハビャリマナの娘と結婚していた[30]。フツ過激派系の政党、開発国民革命運動および共和国防衛同盟と、その民兵組織であったインテラハムウェインプザムガンビへの資金や武器、人員輸送への協力を行った嫌疑で国際指名手配中[31]

ピエール=セレスティン・ルワガフィリタ(Pierre-Celestin Rwagafilita)[8] : アガト・ハビャリマナの兄弟[8]

ローラン・セルブガ (Laurent Serubuga)[32] : 将軍。セルブガはアカズの中で最も強力な人物だった[33]

アルフォンス・ンティリヴァムンダ(Alphonse Ntirivamunda)[32] : ジュベナール・ハビャリマナの甥[34]。ルワブクンバが指揮した死の部隊の同僚[32](別の文献[8]によると、大統領警護隊の司令官である)。

出典^ M.Mamdani, When Victims Become Killer:Colonialisim, Nativism, and the Genocide in Rwanda, Princeton University Press, Princeton, New Jersy, 2001, ISBN 0-691-10280-5, p.190.
^ G.Prunier, Rwanda Crisis(second edition), ISBN 1-85065-372-0, note 77, p.85.
^ a b L.Melvern, Conspiracy to Murder(Revised Edition),Verso, 2006, Brooklyn, NY, ISBN 978-1-84467-542-5, p.13.
^ De Figueiredo & Weingast. (1999). The rationality of fear: Political opportunism and ethnic conflict. In (Eds.) Walter & Snyder, Civil wars, insecurity and intervention. Columbia University Press. p. 261
^ 『現代アフリカの紛争と国家』p.241
^ 『現代アフリカの紛争と国家』pp.240-241
^ a b c d e f ルワンダ国際戦犯法廷1審判決文 The Prosecutor v. Zigiranyirazo, Case No. ICTR-01-73-T, p.4.
^ a b c d e L.Melvern, Conspracy to Murder(Revised Edition), p.29.
^ a b L.Melvern, Conspiracy to Murder(Revised Edtition), p.30.
^ a b L.Melvern, Conspiracy to Murder(Revised Edition), p.124.
^ a b c d e ルワンダ国際戦犯法廷1審判決文 The Prosecutor v. Zigiranyirazo, Case No. ICTR-01-73-T, p.5.
^ a b L.Melvern, Conspiracy to Murder(Revised Edition), p.278.
^ 『現代アフリカの紛争と国家』pp.305-306。
^ a b c d ルワンダ国際戦犯法廷1審判決文, The Prosecutor v. Zigiranyirazo, Case No. ICTR-01-73-T, p.124.

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