アウラングゼーブ
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

のち、1628年2月に父は「シャー・ジャハーン」として即位し、帝国の皇帝となった[5]

1633年6月7日、2頭の戦象の試合中を台覧中、突然一頭がアウラングゼーブの方に向かってきた。だが、アウラングゼーブは逃げずに立ち向かい、象の額に槍を突き刺した[6][7]。象は怒り狂いアウラングゼーブの馬を牙で刺したため、彼は象と地上で戦わなくてはならなくなったが、廷臣らが助けに入り事なきを得た。シャー・ジャハーンは彼を大層褒め、多数の褒美と「バハードゥル」の称号を与えた、と『パードシャー・ナーマ』は記している[6]。このことから、アウラングゼーブは幼少期より勇敢な人物であったことがわかる。

また、アウラングゼーブは若年よりイスラーム教に傾倒し、そのため彼は「ファキール」(貧者)あるいは「ダルヴィーシュ」(托鉢僧)と呼ばれるほどの熱烈なムスリムとなった(ここでのファキール、ダルヴィーシュの意味は神秘的修行者を指す)[8]。アウラングゼーブはアクバル以来の宗教的融和を否定したナクシュバンディー教団のシャイフ・アフマド・シルヒンディーの思想を強く受けていた。この時期、シャー・ジャハーンはヴァーラーナシーの寺院を破壊していたし、帝国の宮廷ではイスラーム復興運動が盛んとなっていた。

一方、アウラングゼーブは全く正反対のアクバル以来の融和路線を支持する兄のダーラー・シコーと激しく対立し、彼を「カーフィル」(背教者、偶像崇拝者)とさえ呼んだ。対立の要因はそれだけでなく、シャー・ジャハーンのダーラー・シコーに対するアウラングゼーブも嫉妬するほどの偏愛にあった[9]

とはいえ、シャー・ジャハーンはアウラングゼーブの才能を認め、高く評価していた。ダーラー・シコーは時折人々に「弟たちの間で油断ならないのは、あのナマーズィー(祈りを捧げる人)だけだ」と話していた[8]
諸州の太守として・サファヴィー朝との戦いアウラングゼーブ

1636年7月24日以降、アウラングゼーブはデカン総督に任命され、デカン地方へと向かった[9][3]。これは同年2月に父帝シャー・ジャハーンがアフマドナガル王国を滅ぼしたのち、後事を彼に任せるためであった[10]

1644年6月7日、アウラングゼーブはこの地位を解任され、1645年2月26日から1647年1月20日まで、アウラングゼーブはグジャラートの太守であった[3]

1647年2月19日から10月13日まで、アウラングゼーブはバルフ及びバダフシャーンの太守であった。これはブハラ・ハーン国で起きた政争に介入し、バルフとバダフシャーンの支配を固め、サマルカンドを奪還するためであった。だが、アウラングゼーブは迫りつつある冬には為す術がなく、部隊の士気も低下していたため、ブハラの君主ナーディル・ムハンマド・ハーンに任せて引き揚げた[11]。戦後、バルフ及びバダフシャーンの太守の地位は解任されたが、引き続きその地にとどまった。

その後、1648年12月からムガル帝国とイランサファヴィー朝との間でアフガニスタンの要衝カンダハールをめぐり第二次ムガル・サファヴィー戦争が勃発し、2月にカンダハールがサファヴィー朝に奪回された[12]。そのため、アウラングゼーブは父帝の命により、強力な軍勢を以てカンダハールへ進軍し、包囲を開始した。だが、アウラングゼーブの側には強力な大砲がなく包囲戦に苦労したため、カンダハールから引き揚げた[12]

1652年5月初頭、アウラングゼーブは今度は多数の大砲のみならず、食糧や物資を集めるなど準備を整えて、カンダハールを再包囲した[12]。しかし、カンダハール守備隊にも食料が豊富にあり、2ヶ月経っても陥落せず、そればかりかウズベクの軍勢1万騎が接近しつつあるとの報が届いたため、包囲を解いて退いた[12]。その後、軍の指揮権はダーラー・シコーに移った[12]

この間、1648年3月25日からムルターンの太守、1649年12月6日からシンドの太守を兼任し、1652年7月24日までこの地位にあった[3]
デカン地方における勢力拡大ミール・ジュムラー

1652年7月17日、アウラングゼーブはデカン総督に再任され、北西インドからデカン地方へと赴いた[3]

1653年、アウラングゼーブはファテーナガルをアウランガーバードと改名し、この地を自身の拠点とした。以後、アウランガーバードは長らくこの地域における帝国の拠点ともなった。

1656年ゴールコンダ王国で君主アブドゥッラー・クトゥブ・シャーとその大臣ミール・ジュムラーが不仲になり、ミール・ジュムラーはアウラングゼーブに帰順を申し出て、ゴールコンダ王国への侵入を促した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:151 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef