アウラングゼーブ
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その後、1648年12月からムガル帝国とイランサファヴィー朝との間でアフガニスタンの要衝カンダハールをめぐり第二次ムガル・サファヴィー戦争が勃発し、2月にカンダハールがサファヴィー朝に奪回された[12]。そのため、アウラングゼーブは父帝の命により、強力な軍勢を以てカンダハールへ進軍し、包囲を開始した。だが、アウラングゼーブの側には強力な大砲がなく包囲戦に苦労したため、カンダハールから引き揚げた[12]

1652年5月初頭、アウラングゼーブは今度は多数の大砲のみならず、食糧や物資を集めるなど準備を整えて、カンダハールを再包囲した[12]。しかし、カンダハール守備隊にも食料が豊富にあり、2ヶ月経っても陥落せず、そればかりかウズベクの軍勢1万騎が接近しつつあるとの報が届いたため、包囲を解いて退いた[12]。その後、軍の指揮権はダーラー・シコーに移った[12]

この間、1648年3月25日からムルターンの太守、1649年12月6日からシンドの太守を兼任し、1652年7月24日までこの地位にあった[3]
デカン地方における勢力拡大ミール・ジュムラー

1652年7月17日、アウラングゼーブはデカン総督に再任され、北西インドからデカン地方へと赴いた[3]

1653年、アウラングゼーブはファテーナガルをアウランガーバードと改名し、この地を自身の拠点とした。以後、アウランガーバードは長らくこの地域における帝国の拠点ともなった。

1656年ゴールコンダ王国で君主アブドゥッラー・クトゥブ・シャーとその大臣ミール・ジュムラーが不仲になり、ミール・ジュムラーはアウラングゼーブに帰順を申し出て、ゴールコンダ王国への侵入を促した。アウラングゼーブもまた、この地域に帝国の勢力を拡大するため、ミール・ジュムラーの帰順を受け入れ、強行軍でダウラターバードからゴールコンダ王国の首都ハイダラーバードへと向かった[13]

だが、ゴールコンダ王アブドゥッラー・クトゥブ・シャーは難攻不落のゴールコンダへと逃げたため、1657年1月からアウラングゼーブは城に激しい攻撃を加えた[14]。2ヶ月以上にわたる攻撃により、ゴールコンダは陥落寸前に陥ったが、ここで包囲は長引いている伝え聞いたシャー・ジャハーンから包囲を解くように命令された。この命令は、アウラングゼーブがゴールコンダ王国を滅ぼしてさらに強大化するのを恐れた兄ダーラー・シコーと姉ジャハーナーラー・ベーグムが、シャー・ジャハーンを動かして出させたものであった[14]

アウラングゼーブはといえど、父帝の命令には逆らえず、4月13日にゴールコンダの包囲を解き、ゴールコンダ王国はその命脈を保った[14][15]。しかし、アウラングゼーブはゴールコンダ側に莫大な賠償金を課し、そればかりか自身の長男スルターンをアブドゥッラー・クトゥブ・シャーの後継にすると約束させ、王の長女をその妃に差し出すよう命じた[16]

ミール・ジュムラーの帰順もまた、このとき家族や自身の軍隊とともに立ち退くことを認められ、アウラングゼーブとともに王国を去った[17]。アウラングゼーブとミール・ジュムラーはその道中ビジャープル王国を通過したが、その際に同国で最も大規模な城塞ビーダルを落として手中に入れ(ビーダル包囲戦)、ダウラターバードへと戻った[17]

フランスの旅行家フランソワ・ベルニエによると、アウラングゼーブとミール・ジュムラーの二人はダウラターバードで固い友情に結ばれ、アウラングゼーブは一日に二度ミール・ジュムラーの顔を見ずには生きていけず、ミール・ジュムラーもアウラングゼーブにまた会わずには一日を過ごせなかったのだという[17]。ベルニエはまた、ミール・ジュムラーとの結びつきが、「アウラングゼーブの王座を築く上での最初の礎石となった」と記している[17]

そののち、ミール・ジュムラーはシャー・ジャハーンに面会するため、妻子ら家族とともにアウラングゼーブのもとを離れ、多数の贈答品を携帯してアーグラへ赴いた[17]。シャー・ジャハーンに面会した際、ミール・ジュムラーはゴールコンダの豊かさを証明するため巨大なダイヤモンドであるコーヒ・ヌールを贈呈し、岩山のカンダハールよりはデカン方面へと兵を進め、コモリン岬まで制圧するよう進言した[18]。シャー・ジャハーンはこの進言を受け入れ、ミール・ジュムラーの指揮の下で大軍を送ることにした[19]

だが、ここで皇帝の長男ダーラー・シコーがアウラングゼーブに兵力を注ぐことになると反対し、この企てを止めようとした[20]。その結果、アウラングゼーブはデカン総督としてダウラターバードにとどまり戦争に一切関与しない、ミール・ジュムラーを総大将に全権を持つこと、その忠誠を保証するために彼の家族をアーグラに留めおくことが条件とされた[20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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