アウラングゼーブ
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だが、ミール・ジュムラーはアーグラで家族が人質にとられているため、合流して援助することも、味方だと公言することもできないと言い、スルターンは仕方なくダウラターバードへと戻った[24]。それでも、アウラングゼーブはめげずに今度は次男ムアッザムを送り、ミール・ジュムラーの説得に成功した[25]

その後すぐ、ミール・ジュムラーは籠城軍に更なる攻撃をかけて和議に応じさせ、ムアッザムとともにアウラングゼーブのいるダウラターバードへと向かった[25]。アウラングゼーブは大変喜び、ミール・ジュムラーを「バーバー」(父上)、「バーバージー」(父君)とさえ呼んだ。また、アウラングゼーブはその家族が殺害されぬよう一計を案じて、ミール・ジュムラーを拘束したように見せかけてともに行軍することを提案し、ミール・ジュムラーもこれを了承した[26]

アウラングゼーブはミール・ジュムラーとの合流に成功してダウラターバードを出たのち、ムラード・バフシュにシンドパンジャーブカシミールアフガニスタンを与える約束で同盟を結んだ。ムラード・バフシュはグジャラートのアフマダーバードを出て、アウラングゼーブと合流し、兄ダーラー・シコーに対抗しうるかなりの大軍団が出来た。
戦いと即位アウラングゼーブ

1658年2月、アウラングゼーブとムラード・バフシュの連合軍は父帝シャー・ジャハーンの派遣した軍勢を破った[27]

同年4月15日、アウラングゼーブとムラード・バフシュの連合軍はダーラー・シコーの軍とウッジャイン近郊のナルマダー川を挟んで戦闘を行った(ダルマートプルの戦い)[28]。戦闘は最初の方はジャスワント・シングの奮闘により、ダーラー・シコー軍の方が優勢だったが、ムラード・バフシュの勇猛さに怯えたカーシム・ハーンが逃げ出すこととなり、ジャスワント・シングも大勢の部下が死亡したことで撤退せざるを得なかった[29]

ダーラー・シコーはこれに怒り狂い、激しく激怒した彼はミール・ジュムラーが兵力や大砲、軍資金を提供したとして、その息子ムハンマド・アミール・ハーンを殺してやりたいとまで言った[30]。だが、シャー・ジャハーンがなだめようとしたため、これは実行されなかった[30]

1658年6月8日、アウラングゼーブとムラード・バフシュの連合軍は、ダーラー・シコーの軍勢とアーグラの近郊サムーガル平原で激突した(サムーガルの戦い)[31]。この戦いはダーラー・シコーの有利にあったが、ダーラー・シコーの軍で裏切りが起き、そのために軍は壊走してしまった[32]

その後、アウラングゼーブはアーグラの貴族らを味方につけ、ダーラー・シコーの長男スライマーン・シコーについていた武将ジャイ・シングに帰属を求める手紙を送った。20日、アウラングゼーブはシャー・ジャハーンに会いに行くという口実のもと、長男スルターンをアーグラへ送り、シャー・ジャハーンの身柄を拘束させた[33][34]。彼自ら会いにいかなかったのは、姉のジャハーナーラー・ベーグムがアウラングゼーブに対して陰謀を企てていたからだ、とベルニエは語っている。のち、22日にアウラングゼーブの任命した城塞司令官のイティバール・ハーンはシャー・ジャハーンをジャハーナーラー・ベーグムといった女性らとともにアーグラ城へと幽閉し、厳重な見張りをつけた[33][35]

7月7日夜、アウラングゼーブは弟のムラード・バフシュを騙し、酔って寝ているところを捕えた[33]。アウラングゼーブの周到な買収工作により、翌朝までにムラード・バフシュの軍勢は簡単に乗っ取られた[36]。アウラングゼーブはムラード・バフシュをそのままデリーサリームガル城へ、ついでグワーリヤルへと送った。

同月7月31日、アウラングゼーブはデリーのデリー城で即位式を挙げ、「アーラムギール」つまり「世界を奪った者」の称号を名乗り、帝国の皇帝となった[27][3]。アーラムギールの称号を名乗った理由には、父の王号シャー・ジャハーンの意味が「世界の皇帝」であったからだと考えられる[5]
兄弟たちの始末と父への復讐ダーラー・シコーアウラングゼーブ(中央)、シャー・シュジャー(上)、ムラード・バフシュ(下)

皇帝となったアウラングゼーブはまず最初に、いまだ活動している兄のダーラー・シコーとシャー・シュジャーの始末に取り掛かった[2]

8月、アウラングゼーブはラホールで兵を集めていたダーラー・シコーの追撃に急いで向かい、ダーラー・シコーはムルターンへと逃げた。アウラングゼーブはムルターンまで追撃し、ダーラー・シコーがムルターンを放棄したことを知ると、彼はその追撃を部下に任せ、ムルターンに入った[37]。アウラングゼーブはアーグラ方面が心配で、ダーラー・シコーのほかにも、シャー・シュジャーの脅威、そして誰かがシャー・ジャハーンを出獄させるかもしれないことに不安を感じていた。


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