当初はアウディ・200から流用した[9]ボアφ79.5 mm×ストローク86.4 mmの直列5気筒で2,144 cc SOHC 10バルブにインタークーラーを備えたターボチャージャーで過給し出力200 PS(147 kW)@ 5,500 rpm、29.1 kgf・m @ 3,500 rpm[15][4]のエンジンであった。最高速度は222 km/h[4]。
日本仕様は160 PS @ 5,500 rpm、23.5 kgf・m @ 3,000 rpm[1][3]。
1983年に内装外装ともマイナーチェンジを受け、シリーズ2となった。外装で眼につくのは片側2灯分離していたヘッドライト一体化と、色つきクリアレンズだったテールライトのスモークカバード化である。
北米での販売は1983年モデルイヤーに並行して製造された旧年モデル(ヨーロッパ仕様の1983年モデルのマイナーチェンジを省いたもの)で始まった。北米仕様の初代エンジンは2,144 cc(コード"WX")で、ECU(電子制御ユニット)やターボチャージャーの過給圧など細かい仕様が変更され、最高出力は172 PS(127 kW)に低下した。
1985年に内装外装ともマイナーチェンジを受けた。
1987年秋に排気量を2,224 ccに拡大し、最高出力200 PSを維持しながら低回転域のトルクを向上した。
1988年に内装のマイナーチェンジを受けた。
1989年にはDOHC化された20バルブエンジンに変更され、最高出力は220 PS(162 kW)まで向上した[10]。アメリカ合衆国での販売累計は664台である。
1991年に製造終了。総生産台数は11,452台[10]。 WRC(世界ラリー選手権)では開幕初年度となる1973年のアメリカ戦のジープ・ワゴニア
WRC参戦
1980年にスポーツ部門のアウディ・スポーツ(独: Audi Sport)を設立[17]、5気筒ターボのエンジンは310PS、42.0kg・m[18]までチューンされ、1981年から世界ラリー選手権(WRC)のグループ4
(英語版)に参戦した[18]。「4WDのラリー車など構造が複雑で重量が嵩むだけ」と性能を疑問視する批評もあったが、初戦のモンテカルロ・ラリーではハンヌ・ミッコラが2位以下を6本のSSで6分以上離すという圧倒的な速さで独走。