アウディ・クワトロ
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ボディフレームはアウディ・80(B2モデル)のフロアパンを流用したクーペと共用するが、フロントサスペンションは形式こそ同じストラット式であるがメンバーから異なるアウディ・200(C2モデル)用であり、リアサスペンションに至ってはクーペのトーションビーム式[1]に対し、アウディ・200前輪用を前後逆に用いた[信頼性要検証]ストラット式[1]に改められており、クーペとの共通性はベースモノコックのみといってよい。前後ともLアームのコイルスプリングでスタビライザーを備えていた。ブレーキもクーペが前輪がディスク[1]、後輪がドラム[1]に対して前輪がベンチレーテッドディスク[3]、後輪がディスク[1][3]になっている。アウターパネルは幅の広いタイヤと拡大されたトレッドに対応しブリスターフェンダーとされ、大型の前後アンダースカートとサイドスカートを装備していた。リアスポイラーはクーペとデザインこそ共通だが大型化されていた。
市販車

1980年11月にヨーロッパで発売された[10]

当初はアウディ・200から流用した[9]ボアφ79.5 mm×ストローク86.4 mmの直列5気筒で2,144 cc SOHC 10バルブにインタークーラーを備えたターボチャージャーで過給し出力200 PS(147 kW)@ 5,500 rpm、29.1 kgf・m @ 3,500 rpm[15][4]のエンジンであった。最高速度は222 km/h[4]

日本仕様は160 PS @ 5,500 rpm、23.5 kgf・m @ 3,000 rpm[1][3]

1983年に内装外装ともマイナーチェンジを受け、シリーズ2となった。外装で眼につくのは片側2灯分離していたヘッドライト一体化と、色つきクリアレンズだったテールライトのスモークカバード化である。

北米での販売は1983年モデルイヤーに並行して製造された旧年モデル(ヨーロッパ仕様の1983年モデルのマイナーチェンジを省いたもの)で始まった。北米仕様の初代エンジンは2,144 cc(コード"WX")で、ECU(電子制御ユニット)やターボチャージャーの過給圧など細かい仕様が変更され、最高出力は172 PS(127 kW)に低下した。

1985年に内装外装ともマイナーチェンジを受けた。

1986年北米での販売を終了した。

1987年秋に排気量を2,224 ccに拡大し、最高出力200 PSを維持しながら低回転域のトルクを向上した。

1988年に内装のマイナーチェンジを受けた。

1989年にはDOHC化された20バルブエンジンに変更され、最高出力は220 PS(162 kW)まで向上した[10]アメリカ合衆国での販売累計は664台である。

1991年に製造終了。総生産台数は11,452台[10]
WRC参戦

WRC(世界ラリー選手権)では開幕初年度となる1973年のアメリカ戦のジープ・ワゴニアの優勝をきっかけに四輪駆動車が禁止されていたが、アウディはFIA(国際自動車連盟)に働きかけて四輪駆動車を解禁させた[16]

1980年にスポーツ部門のアウディ・スポーツ: Audi Sport)を設立[17]、5気筒ターボのエンジンは310PS、42.0kg・m[18]までチューンされ、1981年から世界ラリー選手権(WRC)のグループ4(英語版)に参戦した[18]

「4WDのラリー車など構造が複雑で重量が嵩むだけ」と性能を疑問視する批評もあったが、初戦のモンテカルロ・ラリーではハンヌ・ミッコラが2位以下を6本のSSで6分以上離すという圧倒的な速さで独走。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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